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知  恩


 報恩講の「恩」という字は、私の上に付与せしめられている自己の思いを超えた他なる力を信知することです。しかし、自分に与えられ、そして生かしめている大いなるはたらきを認知することは、そんなにたやすいものではありません。私たちは、生きているのは自分一人の力で生きているように思い、生きている現在ただ今の私にかけられている深い願いや支えてある大地のはたらき、私のこの身を生かすために犠牲となった多くのいのち、さらには、太陽や水、空気、大自然の恵み、人間の歴史の中で培われた環境や言語、文化などの恩恵があることを考えようとはしません。それらを当たり前のこととして生活しているのが実状です。
 こうしてもらって当たり前、こんな状況が当然と受け取る人生にあっては、それこそ不平不満は出ても、"ありがたい"の感謝の言葉一つもでることはないでしょう。
 インドのことばにカンタニュー(katannu)という言葉があります。中国ではこの言葉を「知恩」と訳されました。カンタニューのもとの意味は「なされてあることを知る」という意味だそうです。数年前、中日新聞に「老いの風景」という題でソーシャルワーカーの渡辺哲雄さんがこんな記事を書いておられました。
 「福田ツルに福田カメという名前のめでたさに加え、双子の姉妹がそろって百歳の長寿を達成した珍しさで、誕生日には大勢の報道陣が二人の住む養護老人ホームに詰め掛けた。『いかがですか?こうしてお元気で百歳の誕生日を迎えられた感想は?』という質問に『いかがも何も長生きしすぎたせいで、夫や子どもには先立たれるし、孫はたまにしか面会にきてくれへんし、正直言うていいことは一つもありませナモ』とツルは答えたが、カメの方は『わたしゃ夫や子どもの最期の世話もこの手でできたし、孫は思い出したように面会に来てくれるし、幸せすぎて涙が出ます』と深々と頭を下げた。『施設の暮らしはどうですか?』という質問には『こまごまとした決まりがようけあって窮屈なものですわ。狭い二人部屋に気兼ねはせんならんし、風呂は二日おきしか入れえせんし、ええことは一つもありませんナモ』。と怒ったように眉を上げるツルに対し『同じような年寄りが一緒にいてくださるで、ちっとも淋しゅうはないし、お風呂には二日に一度は入れてもらえるし、幸せすぎて涙がでます』とカメはまた頭を下げた。『最近の世の中をどう思われますか?』とマイクを向けられると『ほうやのう、空気は悪いし、人はとげとげしいし、政治家は悪いことするし、物価は高いし、ええことは一つもありませんナモ』。ツルが表情を曇らせるのに対し、カメは『皆さんに親切にしてもらった上に、年金までいただいて、幸せすぎて涙が出ます』と目の高さで合掌してみせた。(後略)」
 同じ境遇でありながら、受け止め方がまったく違っている二人の姿は、生き方の違いにもなっている。ツルさんは、何事も自分中心にものごとを受け止め、自分の思いで描いたものさしで、すべてを計って、自分に都合がよいか悪いかを判断しています。
 しかし、カメさんは「なされてあることを深く知って」与えられている境涯を喜んでいただいています。今ここにあらしめられている自身のいのちを深く見つめ、さかしらな人間の知恵が強く否定されたところに発見された本当の自己に目覚めた人ではないでしょうか。それは、まさに南無阿弥陀仏に真実の自己を見いだし、阿弥陀の本願をわがいのちとして生きる納得と感謝の姿でありましょう。人間の知恵を超えた智慧、如来の智慧に照らし出されるところにいただかれる世界に「知恩」の生活がはじめて開かれることを教えられます。


(2004年10月 住職ゴリラ)

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