つぶやき★。、::。.::・'゜☆。.::・'゜★。、::。.::・'゜

 


 中津川市で起きた一家六人殺傷事件。その後、知多市での一家5人自殺道連れ事件。凄惨極まりない事件が相次ぎ、そのおぞましさに唖然としました。、それまで容疑者への周りの評価は、この二つの事件とも決して悪いものではありませんでした。むしろ、善い人であった、優しい人であった、実直な人であったとの声が大でした。しかし、近所の人にインタビューする記者は、あれだけの事件を起こしたのだから何か特別な部分、異常と思える節はなかったのかを探る質問をしていました。私はその記者の姿勢の中に、あの恐ろしい行為がなされるのは、どこか私たちと違った人格や性格に基づいているのではないかという、容疑者を特別視しようとする思いがあることを強く印象づけられました。しかし、その特別な部分や異常性が見出せない時、私たちはまた、言い知れぬ不安にかられます。それはたぶん、人間がわからないという不安でもありましょう。
 今回の事件を通して、多くの方の無念の死が、人間とは何かを深く問いかけているように思います。人間を見つめる中で、夏目漱石は小説に次のように書いています。
 「あなたは自分の親戚や自分の住所に悪人なんておらんとおっしゃいますけど、そんな鋳型にはまったような悪人がこの世におるとでも思うておるのですか。この世の中はみんないい人ばかりですよ。普通の人ですよ。それが縁がくると悪人に急変するから恐ろしいのです。」
 これは、親鸞聖人がすでに「一人にてもかないぬべき業縁なきによりて害せざるなり。わが心のよくて殺さぬにあらずや」(『歎異抄』より)と、縁のもよおしによっていかなるふるまいもなす人間の実相を言い当てていることばに由るのでしょう。親鸞聖人はさらに縁に従って生きるしかない人間が、その存在の根っこに深く重く宿す真実を覆う無明性と、煩悩(欲望やいかり、腹立ち、嫉妬心)の興盛を因として、何をしでかすか分からないという人間の自体を述べられています。すでにして「罪悪深重煩悩熾盛の凡夫」と言い当てられて人間である私を、その故に救わずんばおかないと誓われた如来の本願であります。念仏申すいのちの回復こそがまさに愁眉の急であるといわなければなりません。

(2005年4月 住職ゴリラ)

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