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耳根清徹  『仏説無量寿経』
「生活が教えに聞く耳になることです。」 廣瀬 杲


  十月に入った初めの日、豊田市の自動車会社の現役の課長を務めるSさん五十八歳の葬儀に参勤した。Sさんは、社会人ラグビー部の選手として活躍し、後には副部長として後進の指導に努めていた。会社での有能な社員であると同時に、社会教育活動、特に青少年健全育成に寄与するためのレクレーション指導に熱心であった。その功績が認められ、二年前には文部科学大臣賞も受賞している。
 六年前に発病した絶望的な肝臓の病も、Sさん自身の人生の完成に向けてその意欲の発露ともなっていった。「どうせ治り切らない病なのだから」と、消極的になるのではなく、「余命いくばくもないこのいのち、燃え尽きるまで活かしてゆこう」とかけがえのない時を大切に、大事に過ごしていかれた。
 還骨までの間、Sさんの五十八年の人生の軌跡を静かにたどる遺族の方の話を聞きながら、ふと思った。
 昨年の秋、報恩講の準備で掃除に来てみえたあるご門徒さんに「どっちみち明日にはまた風が吹いて葉が散るんやから、適当に掃いておいて下さい。」と言った。するとご門徒さんは私に「御院主ソンでもな、せっかく来たンやでちゃんと掃かせてもらうわナ、明日散ったらまた掃きに来るデ」と言われた。ご門徒さんのことばに「どっちみち」「せっかく」の言葉、そしてその後の行動姿勢の違いの大きさに気づかされて愕然としたことを思い出した。
 「どっちみち」とか「どうせ」の一声の背景には、怠け心、損か徳かの計算、やる気のなさ、卑下する心が支配している。したがって、そのことばの後の行動は消極的であることが多い。しかし「せっかく」と押さえられたことばの意味するところには、一生懸命さ、誠実さがともなって、その行動は積極的であり、生産的である。そこには「せっかくのご縁」「せっかくのいのち」といただく念仏者の謙虚な相を見ることができる。翻って私の生活がどっちみち○○○なんやから」に代表されるような生活の輝きの無さに愕然としたのである。
 Sさんの生涯を貫いた姿勢の中に「せっかく」といただくいのちに目覚めた人の尊い人生を思う。友人の弔辞にで「彼は人の話をよく聞く人であった」という表現があった。よくよく心の耳を開いて己を聞くことの大切さを私に遺して往かれた。


(2005年10月 住職ゴリラ)

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