死から学ぶ生の真実      高史明

第2章

 ところで、今日は先に申しました通り、朋成仏の十三回忌です。朋成君が亡くなって、早くも十三年が経過しているわけです。十三年とは、かなりの時間です。しかし、ここにはいまもなお、少しも変わらない「悲しみ」があります。そうです、生者にとって死に学ぶ縁は、まずは「愛別離苦」の悲しみに始ると言えましょう。大切な人に亡くなられるなら、何処の何人であれ、万人が泣きます。朋成仏が、お父さんお母さん、兄弟たちや、お祖母さま、そのほか多くの友達・縁者に送り届けてきたのも、まずはこの堪え難い悲しみであり、抑えきれない涙だったと思います。 とはいえ、人間にとって、大切な人との永遠の別れほど辛いことはありません。この悲しみとは、私たちに何を告げているのでありましょう。悲しみとはなんであるのか。 ここに『君は空の笑顔』(樹心社)という本があります。そこに朋成君が亡くなってからの、ご家族のさまざまのお気持ちがまとめられております。まずそれを読みながら、ご家族の悲しみに学びたいと思います。それがそのまま死に学ぶことになってゆくと思うのです。  思えば、十三年前のことでした。私は朋成君のお祖母さまから、お電話をいただいたのでした。それが私と朋成仏、そして、西藤さんの皆さんとの縁の始まりです。そのお祖母さまの悲しみの言葉を、最初に読んで見ます。朋成君が亡くなったその夜を語るお祖母さまのお言葉です。

 「お別れの夜  西藤ふみ(朋成の祖母)
それは、朋成が、この地上からお浄土への旅立ちの夜でした。白い粉雪が静かに降っていました。誰にも知らせず家族ばかりのお別れをしようということでした。両親は入院の時の着のみ着のまんま、朋成君を真ん中にいだくように、両脇に横になり、誰にはばかることなく、大きな声で朋君の身体をゆすぶりながら「朋成、朋成」と涙のかれるまで、泣き明かしました。」
 
 そうです、朋成君は、その前日までは元気だったのでした。元気に学校に行っているのです。ところが、お腹が痛いといって早退してきた。医師に見せると、盲腸の診断だった。それで手術を受けたところ、それこそあっという間に世を去ったのでした。医療ミスがあったのでした。これが西藤さんの皆さんが遭遇した「愛別離苦」の始まりです。お祖母さんは、その始まりを次のように書いていました。

 「両親は−朋成君を真中にいだくように、両脇に横になり――大きな声で朋君の体を揺すぶりながら、「朋成、朋成」と涙のかれるまで、泣き明かしました」 なんと言う悲しみでありましょう。しかも、泣いているのは、両親だけではありませんでした。お祖母さまは、さらに書かれていた。 
 
「三男の大信は、だまって、兄ちゃんの枕もとに座っていましたが、急にほほをマッサージし始めました。きっと冷たくなったほほを暖めてやりたかったのでしょう。一生懸命やっていましたが、もう自分の手がいたくなったのでしょうか、『だめだ、だめだ』と一人ごとのようにつぶやいて、口をへの字にして悲しみをこらえている横顔が、目にやきついています」
 
 このとき大信君は、小学校の一年生ではなかったでしようか。一年生の子が、何時までも起きてこないお兄ちゃんの頬をマッサージし始めたと言うのです。悲しみとは、まことに深い働きだと言えます。  お祖母さまは、二男の佳史についても書いていました。
 
「冷え冷えした夜でしたので、おこたに入れてやすませました。一時間以上もたったと思います。もう寝たものと、そっとのぞいて見ますと、大きなひとみに涙を一杯ためて、天井を見つめたまんまでした。小さな胸に兄のやさしさ、愛しさが、こみ上げて来たのでしょう。毎朝毎朝「オオーイ佳史、大信行くぞ、早くこい」と先頭に立って、兄ちゃんぶりを発揮していた朋君を、大事な大事な兄ちゃんを、急に僕たちの家族からもぎ取られたんですもの。――一九八二年一月一九日、あの悲しみは、私たちの命のあるかぎり忘れることは出来ません。」
 
 このお祖母さまのお言葉の中に光っているもの、その涙は、十三年という時間によっても決して消えるものではないと言えます。この悲しみは何か。それこそが、私たち生者に届けられてきている仏の涙というものではないでしようか。死に学ぶとは、まずこの涙に導かれることなのでした。お祖母さまは仰っていました。「この尊い十三歳の生命が、私たちの家族を真実の道へと導いて下さったのです。」私はこの言葉に、仏さまの智慧をみる思いがするのですが、それは私の思い込みというものでありましょうか。

(『死から学ぶ生の真実』  第2章)