死から学ぶ生の真実      高史明

5章  

 思えば、私たちの日々は、そうした無量の仏さまに見つめられているのでした。私たちが生者だけのものと思いこんでいるこの世界には、朋成仏のお仲間が至る所におられるのです。ここで眼を少し広げて、その無量の仏の働きにも触れて見たいと思います。

 最近、私たちは、大事な若い友人から、深い悲しみの握手を頂くということがあつたのでした。山田誠君がその友人の名前です。彼は東京で、高校の教師をしていたのでした。 

 お母さまが鹿児島に一人で暮らしておられ、親孝行の青年であったのでしょう、夏休みになって、家族をつれて鹿児島に帰られた。東京を発ったのが八月五日だったようです。その前にわが家に見えられ、これから鹿児島に帰ってきます、とお別れの挨拶に見えられた楽しげな顔が、いまも眼の底にあります。なんとお酒をお土産に持ってきて下さったのです。

  ところが、次の六日、鹿児島は大雨でした。列車がストップしてしまうのです。そのうえ、線路際に崖崩れが起きた。青年は、二歳の子を抱いて海に投げ出されたのでした。そのとき青年は、まだ四十二年の若さでした。その青年が、お子とともに亡くなったのです。後には小学生のお子二人と奥さんが残されました。まことに恐ろしいことです。この突然の悲劇を、残された奥さんはどう受け止められたことでありましよう。また、小学生だった子どもたちはどうだったか。深い悲しみに心底を刺し貫かれ、恐ろしい悲しみに襲われながら、いまなお何が起きたか、しっかりと受け止めることができないままではないでしょうか。そして、鹿児島で待っておられたお母さまが受けた衝撃は、どんなに深いものであったことでしょう。その後、お母さんにお会いする機会がありました。そのときお母さんは、あふれる涙を押さえながら、悲しみに満ちた声でおっしゃったことです。

  「あの子たちは、私に東京に出てくれと言っていた。私がそれを聞いて東京に行っておれば、あの子たちが鹿児島に来て死ぬことはなかっただろう。そう思えばもう身が切られるようにつらい。どうして、あの時に東京へ行ってやらなかったのか。私が行かなかったばっかりに、あの子たちは鹿児島に来てこのような災難にあったのだ。―私がもっと早く死んでおればよかった−」

  まさに愛別離苦とは、骨の砕ける苦しみです。子や孫の後を追って、死にたかったに違いありません。にもかわらず、この身はこの世に残されているわけです。生きるとは何でありましょう。そのとき身と心は二つに引裂かれ、生きていることが、ただ恨めしいだけなのです。生きているこの肉体が、襤褸のようにおぞましいのです。重いのです。しかも、そのおぞましい肉体に囚われて、身動きもできない。そのお母さまの悲しみの声を聞くのは、辛いことでした。本当に生きていることの真実とは何でありましょう。

  思えば、それこそが仏さまが私たちの根っこにいのちに問いかけていることなのでした。お母さんの悲しみに、私はその仏の願いを感じないではおれませんでした。どうか生き続けて欲しいと言うことです。その願いが、心の底に溢れあがってくるのです。この悲しみ、この苦しみは、なぜか。なぜ仏さまは、この堪えがたい悲しみ苦しみを、年老いた母親に与えられるのか。慈悲とは何か。ほとんど本能的な叫びか、私の全身を走り回るようでした。 もし、お母さんが、その悲しみを自分中心に受けるなら、それはおぞましい肉体への嫌悪をいっきに強め、その肉体を自ら捨てようとする衝動にもなるに違いないのです。それこそが肉体への囚われです。人間は容易ことでは、仏さまのように純粋に悲しむことができないのでした。どうしても我が身を責める。しかも、捨てようとして捨てられないのです。しかし、その捨ようとして捨てられない肉体の悶えこそは、すでに新しい知恵のはじまり、仏の声を聞いてゆく歩みの始まりなのでした。その悶えこそが、仏の慈悲です。

 私は顔が強張るのを意識しながら、あえてお母さんに言ったのでした。

  「いまのその悲しみは、お母さまの立場から亡き子を見ているときの悲しみです。亡き子のほうから見られていない。仏さまはお母さんに、どういうお母さんであって欲しいと願っておりましょう。その仏さまからのまなざしを抜きにしては、愛別離苦の悲しみの中に仏さまの智慧を学ぶことはできないのです。悲しいときは、仏と一緒になって、手を合わせ、心ゆくまで泣くといいのです。泣いて泣き尽くしてゆくなら、仏もまた泣いていることが、その涙の中に感得されましょう。―」

  悲しみの涙は、そのまま亡き子からの贈り物なのでした。その涙を頂き尽くしてゆくこと、人間にその外に何ができましょう。その青年は、お母さんにとっては、女手一つで必死に働いて育てた大事な大事な子でした。それだけにいっそう悲しい。しかし、自分中心にして亡き子を追う涙であっても、よくよく考えると、亡き子から送られてくる悲しみの涙なのでした。母親の悲しみは、同時に向こうの仏の悲しみでもある。「悲」とは「心」が、二つに割れている形を現しているのでした。言うなれば、日頃の「心」の死を意味しているのが、悲にほかならない。自分のいのちを自分のものとしている人間の私は、その自分によって子をもまた、自分のいのちとしているのでした。悲しみは、その自分の心を打ち砕くのであります。その涙のどん底から、新しい智慧が立ち上がってくる。真の生の喜びが溢れあがってくるのです。真に悲しむ人は、この仏の涙を頂く人であります。そのお母さんは、よほど悲しみが深かったのでありましょう、私の話を遠く遠く見つめるような眼差しで聞いて下さいました。静かに頷いておられた。遠くの仏さまを見つめようとしておられたに違いないと思います。気がつくと、私たち生者は、いつも向こうから見つめられているのでした。 これが仏縁です。

 今一度、朋成仏との縁に戻りますと、あの悲しい仏縁の最初に亡くなったお兄ちゃん頬を、ほとんど本能的にマッサージすることになった弟の大信君は、やがて五年生になったときですか、次の詩を詠んでいました。

     友達の空  大信
 いつもみる大空、空もぼくをみる
 にらめっこしているみたい
 ぼくも空をみる、空もぼくをみる
 それが友達の空だ  
 空ともなかよしになり、心いっぱい胸いっぱいうれしい
 空も言ってくれるはずだ
 いつでもみんな
 なかよくするってことをね!

 大信君にとっては、広い空はまた、仏さまだったのではないでしょうか。本当のお友達です。しかも、彼は言います。ぼくも空を見るけれども、空もぼくを見る、と。私たちの自分中心の日常からすると、不思議な境地です。人間は悲しいことに出会うと、まず自分中心に泣くのでした。それこそ涙が涸れるまで泣きます。しかし、その悲しみの涙の日々において、その悲しむ自分が、実は仏から悲しまれている自分であったことが教えられるのです。そうです、人間とは、他の生き物にない知恵を生きているが故に、いつも自分から見るのでした。悲しい涙もまた、自分中心に泣くのです。何事も自分中心に見る。「見える」ということが問われない。しかし、「見える」とは、実は真実が見えなくなることに通じているのでした。人間とは、自分から空を見るけれど、空に見られていることに気づかない。悲しみの涙は、その顛倒を根こそぎに洗い流すのでありましょう。

 大信君もまた、朋成仏の涙に心を洗われたのでありましょう。「ぼくも空をみる、空もぼくをみる」と言っている。お釈迦さまの教えが、悲しみを通して、大信君の眼差しになっている。この絶対平等の仏とともに生きる世界こそが、真の生の大地です。

(『死から学ぶ死の真実』 第5章)