死から学ぶ生の真実      高史明

6章  

 死者に学ぶということ−、人間の生は、まさに仏道を通して真実の生になるのだと言えます。自分中心の目は、仏の涙に洗われてゆくことなくしては、真のいのちと出会うことはないのです。この仏の眼差しとの出会いということを、いま少し考えて見たいと思います。

 ある北陸の学校の先生から、手紙をいただいて教わったことがあります。その方は浄土真宗の山の小さなお寺に生まれ、大きくなってから、町の学校の教師になったのでした。寺は年老いた両親が守っておられたようです。しかし、やがて、お母さんの方に少しボケが始まったと言います。お父さん一人にお母さんの世話を任せておれないので、町に引き取って介護することになった。ところが、お母さまのボケは、すすむ一方だったようです。そして、最後はウンコを家中に塗りたくって歩くようになった。辛いことです。

 その当初、娘にはその母親の姿がどのように映るか。娘は手紙に書いていました。
  「ここに書きあらわすことのできない思いが、日夜私の胸をよぎるようになりました」と。 その書きあらわすことのできない言葉とは何でしょう。もう死んで欲しい、ということです。大切な愛する母親です。そんな母であれば、なおの情けないのです。一緒に死にたい、という思いにも襲われたことであろうと思います。

 しかし、この思いこそ、自分中心にこっちから、母親を見ている眼差しなのでした。こっちから向こうを見ている。情けない母親の姿です。どうしてもその母親の姿が、ボケているとしか見えない。自分中心だから、ありのままが見えないのです。しかも、現代人は、その自分中心の眼差しだけがすべてなのでした。どうなるか、情けなさの余り、お母さんに死んで欲しいという思いが、その合理的な眼差しのただ中に湧いてくるのです。そして、それがまた、自分の苦しみとなってくる。これが自分中心の生です。しかし、その生は、本物ではない。仮です。仏は、その仮の自分を打ち破る真実なのでした。

 やがて、そのお母さんは、苦しみの葛藤の末に本当に亡くなられることになりました。つまり、情けない情けないと思っていた母親の姿が、眼の前から見えないことになるわけです。その当初、その方は、ほっとしたと言います。これでお母さんも、やっと楽になれると言うことでしょう。私たち人間中心の生は、それで事は終わりということになります。それが自分中心の目で生きる人間のありようです。そこでは、悲しみはやがてあきらめになり、「いずれ私も往くんだから」という思いにおさまってゆきます。すると、仏と生者の関係はどうなるか。生者中心になります。仏教が真の姿を隠して、専ら死者供養の形式となってしまったのは、この生者中心の眼差しからではないでしょうか。しかし、それは本物の供養であるのか。供養とは、生者が真実の知恵を賜った感謝とともに生まれるのでありましょう。深い悲しみは、生者の自己満足を決して許すものではありません。そこに悲しみの涙の大事さがあります。生者に対して、その生者中心の眼差しの根本的変更を迫るのです。

 お母さんが亡くなって、二か月、三か月という時が経過して、その方は気づかれたのでした。きっと本当に悲しんでいたからでありましょう。自分の眼差しが何であったかを教えられるのです。その方には、生前のお母さんはボケたとしか見えなかったのでした。自分中心に、年老いたお母さんを見ていたからです。向こうから見られているという意識がなかった。それこそが人間の目の無明です。ありのままが見えない。形ばかりが見える。その目には「自分」という覆いがかかっているのでした。それがいわゆる「仮」というものです。自分中心の目では、お母さんの姿が本当の意味で見えることはないのです。ところが、お母さまが亡くなってから、その覆いが破れたのでした。悲しみが、自分中心の目の覆いを破り取るのです。その方は、その仏の働きを百日ほどして知ったのでした。

 手紙には、また次のような言葉があったのです。自分中心の目の闇が破れたとき、呆けたとしか見えなかった母親の姿が、どのように見えてきたか。手紙には、また次の言葉があったのでした。 「ボケた、ボケたと思っていた母は、実は最後の力を振り絞って、あるがままの私の姿を教えてくれていたんだ」 「あるがままの姿」とは何でありましょう。ボケた、ボケたと見ていたその目は、実は何も見えていなかったということです。それが人間のありのままでありましょう。その娘の迷いに対して、母親はその呆けた姿を通して、まさに最後の力を振り絞って教えていたのでした。"あなたのその目は本当の目でない。その目は、実は大事なものを見失っていますよ"と。母親のなんと深い愛でありましょう。それこそいわゆる人間中心の情愛を貫き通して現われでてくる真実の愛です。それこそが仏の慈悲ということです。

 そうです、お釈迦さまの出家の動機もまた、人間の目の自分中心の闇を破ることにあったのでした。「四門出遊」という言葉があります。お釈迦さまの出家の動機にかかわる言葉です。お釈迦さまは、まだ太子であった頃、お城の東西南北の門から出てゆこうして、人間の根本苦である生老病死のありのままを目にされたのでした。そして、出家なさった。その出家の動機は、次の言葉で語られていたのでした。 「比丘たちよ、出家しないまえのわたしは、たいへん幸福な生活のなかにあった。わたしの生家には池があって、蓮の美しい花が浮かんでいた。部屋にはいつも、栴檀香のかぐわしい香りが漂っていたし、着るものはすべてカーシ産の最上の布であった。また、わたしのために三つの別殿があって、冬には冬の館、夏には夏の館、春には春の館に住んだ――」

 お釈迦さまは、言わば非常に幸せな暮らしを送っておられたと言えましょう。その背景には、釈迦族の命運にかかわる暗雲が、すでに重く広がっていたのですが、しかし、まだ王族としての生活があったわけです。お釈迦さまはそれを全部捨てたのでした。その理由を語るお釈迦さまの言葉は、次の通りです。

  「比丘たちよ、わたしはそのような生活の中にあって思った。愚かな者は、自ら老いる身であり、いまだ老いを免れることを知らないのに、他人の老いたるを見れば、おのれのことは忘れて、厭い嫌う。考えみると、わたしもまた老いる身である。老いを免れることはできない。それなのに、他人の老い衰えたさまを見て厭い嫌うというのは、わたしとしてふさわしいことではない。比丘たちよ、そのように考えたとき、わたしの青春の?逸はことごとく断たれてしまった。」

  「他人の老いたるを見れば−」とは、まことに深い眼差しです。母親をボケたボケたと見ている目には、実は自分が見えていなかったということだったわけです。人間の目には、そのような暗幕がかかっている。お母さんをボケたボケたと見ている人間の目は、対象的に向こうを見ている目にほかならないのです。母親が、その姿によってあるがままの自分の姿を教えていることが、まるで見えないわけです。見ている自分は、自分には見えないものです。にもかかわらず、人間は、その向こうしか見えない目で対象が、正確に捉えているかのように思っているのでした。それこそが言葉の知恵です。 しかし、対象は正確に捉えられれば捉えられほど、そのありのままの姿を隠してしまうのでした。

 人間の世界の「生・老・病・死」の四苦とは、まさにこの人間の目の闇が生む幻像だとも言えましよう。それが人間の歴史です。今日の科学もまた、この無明と無縁ではありません。人間はその言葉の知恵を磨き、そのあげく科学の時代を呼び起こしたのでした。しかし、その明はまた、暗でもあった。科学時代が行き着いたのは、原子爆弾を作り、それを同じ人間の頭の上で破裂させてみせることでした。なぜそういうことができたのか。対象を正確に捉えようとする目は、「科学」となったとき、対象を数量化して捉える目となって、その目から涙を追放したのでした。現代人は泣く時も、自分中心に泣いている。その目には、真実の涙はないと言えないのです。涙がないから、涙を忘れてしまったから、原爆を人間の頭上で爆発させることができるのはないか。  私たちは今一度、本当の涙、仏さまに賜る涙を思い返していいのです。私の好きな思想家にルソーという人がおります。彼は人間世界の不平等の原因を考える論文の中に、ギリシアの詩人の言葉を引用していました。

  いともやさしい心こそ
 自然から人類が授かったもの
 自然が人類に涙を贈ったのがその証拠
     (本田喜代治・平岡昇訳)  

 ルソーの眼差しは、実に深いと言えます。涙を忘れた人間の知恵は、その根本において自然を見失っているのです。人間が自然を理解すればするほど、自然は破壊されています。その涙が自然からの贈り物であることを見失った知恵は、何を作りだしているか。その文明、文化は、いかにも幸せそうに見えますが、人間をバラバラにしています。人間同士がバラバラになるばかりではない。人間と自然が救い難いほどの分裂を深めている。  親鸞聖人の和讃が思い起されるところです。

  平等心をうるときを
  一子地となづけたり
  一子地は仏性なり
  安養にいたりてさとるべし

 「安養」とは、仏の世界です。私たちは自分中心の目の闇を涙に洗われて、初めてその世界に招かれるのでした。人間とは泣く存在です。だから涙を通してはじめて、自分をよくよく見つけさせられるということが起こる。いうなれば、人間の自分中心の知恵とは、涙に洗われたときはじめて、それまで見えなかった真実が見えてくるのです。人間と人間、親と子、人間と自然において、本当に大事なものが見えてくる。その目が開けてこないと、優しさも何もありません。

 年老いた母親がボケたら、早く死んで欲しいという苦しい思いになるほかなくなるのです。しかも、そのような思いを抱く自分が、その心の渇きに自分自身をまた苦しむ。泣くこと、それは本当に辛いことですが、しかし、その深まりゆく真実の涙を通してはじめて、人間は世の中に生きている本当の意味を心身に開くのです。それこそが生命の喜びに通じる道です。人と人のともに生きる、助け合う世界が開ける。

 ところで、親鸞はまた、いわゆる『正信偈』の中で人間の真実に至る道を次のように説かれていたのでした。

   惑染の凡夫、信心発すれば、生死即涅槃なりと証知せしむ。

 中国・北魏の人・曇鸞大師の『浄土論註』言葉を、『正信偈』においていまの言葉に要約しているわけです。惑染の凡夫というのは、私たちのことです。濁りに染まっているただの人、という意味だといってよいかと思います。そのように濁りに濁って、とうてい助かりようのない者の救いが、いまの言葉に開示されていたのでした。「信心発すれば−」と言う。

 人間とは、信心という阿弥陀さまの智慧をいただいた時、はじめて救われるという。生死の迷いの世界と、悟りの世界である涅槃とが一つになるというのです。それにしても「生死即涅槃」とは、なんと意味深い言葉でありましよう。悟りの世界とは、十万億土の彼方にあるのではないと言うのです。

 言葉を代えて言いますれば、助からんものが助かるということ、これは不思議なことです。しかし、考えで見れば、助かるものが助かるのは当たり前なのでした。ちっとも不思議ではありません。そんなものは当たり前です。しかし、現代の地球を考えてみると、人間とはどうも助からない道を深めているとしか思えません。人間を人間にしている人間の知恵が,人間の迷いと苦しみの根っこだとすると、その知恵を頼りとしている人間は、とうてい助からない存在であるのかも知れません。人間の世界は、いわば同じ人間の殺し合いの世界であったのでした。 しかし、それは世界全体の問題だけでなく、個人の一生の場合でも、そうではないでしょうか。生死が分裂していて、現代人にとっては、その生はいまや「ゴミ」とも考えている死に行き着くわけでありましょう。その人間が信心という阿弥陀さまの智慧によって助かると言うのです。助からないものが、助かる。その助かる道が「信心」という言葉で開かれている。その「信心」とはまた、涙によってその最初の扉が、開かれるのではないでしょうか。

(『死から学ぶ死の真実』 第6章)