深く真実のいのちを見つめる その2       高史明

第10章

 夥しい仏の眼差しが感じられます。仏さまの声のない声が聞こえるのです。人間の知恵は、どうして繁栄とともに地獄をも深くしてゆくのでありましょう。

 明治維新の志士たちや、福沢諭吉、そして吉田茂らの知恵の形を見るなら、明らかに近代ヨーロッパの理性と同じように合理的の裏に不合理を潜めていたことが見て取れます。彼らの理性は、目前の対象に対しては、実に正確に働いているわけですが、五十年もすると、新しい困難を生み出すことになっているのです。

 人間の歴史は、その葛藤の連続であったと言えます。そして人間中心の現代に至っているのです。人間の知恵には、深い矛盾が潜んでいるわけです。 しかし、その一方で、人間の歴史は、自らの知恵の矛盾を見つめて、時を超えて生きる深い叡智を開いてもいたと言っていいと思います。お釈迦さまや、ソクラテスなどの系列に連なる知恵がある。いまこそその知恵が、深く見つめられていいときではないでしょうか。

 まずはその扉として、最初に明治の人・夏目漱石の言葉を見ることにします。彼は人間の知恵の矛盾に苦しみ抜きながら、晩年の作品『行人』によって、その根っこの闇を抉り出していたのでした。

 「自分のしている事が、自分の目的になっていない程苦しい事はない」

と『行人』の主人公は、絶望の極みに来て告白していました。 この一言に近代日本の苦しみを、その根っこにおいて言い当てられていると言えないでしょうか。彼はこの言葉に続いて、さらに次のように問題を展開していました。

 「人間の不安は科学の発展から来る。進んで止まる事を許してくれたことを知らない科学は、かつて我々に止まることを許してくれた事がない。徒歩から俥、俥から馬車、馬車から汽車、汽車から自動車、それから航空船――何処まで連れて行かれるか分からない、実に恐ろしい」と。

  近代の文明開化は、科学の発展とともに発展してきたのでした。しかし、その科学は、人間を何処に連れてゆこうとしているのでありましょう。現代人の心底には、この人類史的な深い不安が横たわっているのではないでしょうか。世界を対象的に分析し、また綜合してゆく科学的方法によって、この深い存在の根っこの不安が解決されるのでありましょうか。

 人間は科学を本当に大切に生かすためにも、今はむしろ自らの原点にある課題を思い返していいのです。明治維新のときには、生者中心の眼差しが先行して、一度は排除されることになった仏教の眼差しをここ見つめ直していいのです。

  仏教が日本に渡来したのは、聖徳太子の時代でした。そして、鎌倉の動乱期になったとき、法然が浄土教を起した。仏教とは、一部の知識人の占有物ではない、万人の真実の喜びを開く道ではないかと考えたわけです。親鸞は、その法然に心から帰依した人でした。そして、長い孤独と困難きわまる人生の晩年に至って、ついに日本の大地に浄土の真宗を開いたのでした。そして、蓮如がこの真宗を室町期の地獄を生きる人々に開示したわけです。

 ところで、その真宗とは、いかなる真理であったかと言うことです。まずは、蓮如の言葉において、真宗の真理を見つめたいと思います。先の漱石の言葉は、人間の生きる自分と、その自分のすることとの本質的乖離にかかわるものでしたが、その連なりにおいて言いますと、蓮如にはまた、次の言葉があるわけです。

 よきことをしたるが、わろきことあり。わろき事したるが、よき事あり。よきことをしても、われは法儀に付きてよき事したると思い、われ、と云う事あれば、わろきなり。あしき事をしても、心中をひるがえし、本願に帰するは、わろき事したるが、よき道理になる」由、仰せられ候う。しかれば、蓮如上人は、「まいらせ心がわろき」と仰せらるると云々=『御一代聞書』

 皆さんは、この言葉に何を思われましょう。蓮如は、毀誉褒貶、まさにさまざまに言われている人でした。真宗の教団の人々は、深く尊敬していますが、その教団の人にしても、厳しい批判の持ち主が決して少なくないのです。とりわけ、第二次世界大戦とその敗北の後には、蓮如否定は厳しいものであったと言えましょう。完全否定の思想家も大勢いたわけです。そして、それにはそれなりの根拠もまたあったのでした。蓮如教団とも呼ばれる真宗教団は、必ずしも親鸞の教えを、厳格に守ったとは言えない歴史を抱えていたわけです。

 しかし、その否定的側面を理由にして蓮如を完全否定してしまうなら、歴史的人間としての蓮如の全体像を歪めて捉えるだけではなく、真宗の真理と蓮如のかかわりをも歪めてしまうのではないでしょうか。つづめて言いますなら、生者中心の思想の機械的適用となって、歴史と人間の苦悩とともにある創造を見失うってしまうと言うことです。 室町の動乱期を生きた人々は、その地獄のような現実の中で蓮如の言葉の真理を確かに聞き取ったのでした。それがいわゆる一向一揆となった人々の確信だったのでありましょう。

 蓮如の第一声は、一四六一年の三月、京都に八万人を超える餓死者がでた地獄のどん底からの声であったと言われますが、そこには確かに親鸞の開いた浄土真宗の真理が明示されていたのでした。蓮如は、地獄に喘ぐ人々に訴えているのです。

 「たとえ名号をとなふるとも、仏たすけたまへとおもふべからず。ただ弥陀をたのむこころの一念の信心によりて、やすく御たすけあることのかたじけなさのあまり、弥陀如来の御たすけあることの御恩を報じたてまつる念仏なりとこころうべきなり。――」と。

  蓮如はまだまだ汲み尽くされていないと思います。室町期の日本とアジアのかかわりもまた、なお汲み尽くされていないのではないでしょうか。ともあれいま上げ言葉は、その蓮如の世界の根っこを示しているわけです。

 ところで、さきの「よきことしたるが、わろきことあり。――」に戻りましょう。ここに言われている「―よき事をしても、われは法儀に付きてよき事したると思い、われ、と云う事あれば、わろきなり」といわれる言葉は、まさに漱石の悩みに連なり、さらに現代の闇の根っこを開いていると言えないでしょうか。 この横に近代文明の祖と見なされているデカルトの言葉を置いて見るとどうでしょう。

 デカルト思想の要は、『省察』において確立され、『方法序説』に展開された「われ惟う、ゆえにわれあり」でした。それ故に彼は、近代的な理性の祖だと見られている。近代科学は、まさにこの理性によって法を明らかにし、その法にそって幸せを求めてゆく道なのでありましょう。ところで、その立場こそは、まさに「われは法儀につきてよき事をしたると」という思いに相呼応するものではないでしょうか。「法儀」とは、仏教の道理です。しかし、ここには現代人が法則という言葉で考えている客観的法則に通底する意味があります。しかも、現代人は、その法則に至る理性を自分の中心に据えて、理性的に生きることが、最上の生き方と見ているのでした。その意味で、現代人はみんな個人中心主義です。

 蓮如はしかし、それが最悪へと転化することがある、と指摘しているのでした。現代の課題が、まさにここにあります。実際、現代人は、理性を根本の大地として、その理性を磨き、理性の持ち主の自分を中心に生きているわけですが、その理性と「われ」とは、何でありましよう。ここにお釈迦さまのお言葉を上げて見ます。

 わたしには子がある。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。しかしすでに自己が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。=ブッダの真理のことば・感興のことば

 お釈迦さまの言葉は簡潔です。しかし、ここには真実があります。私たちは子がない、財がないと言って悩みます。しかし、その自己がすでにして自分のものではないのです。そうであれば、ない、ないと言って悩むこともその根っこでは同じことです。その根っこには、ともに「思う」ということが横たわっていたのでした。にもかかわらず、人間の近代は、その「思う」ということに基礎をおいて、自分を絶対化したわけです。いのちすらも自分のものと見なしているのです。だが、どうしていのちが、自分のものでありましょう。「すでに自己が自分のものではない」のです。その自分ものでもない自己を、自分のものにしているということ、さらに言うなら、いのちを自分のものにしていること、その人間の矛盾こそが、人間の死に至る病だと見てよいのです。

 お釈迦さまが言われる無明とは、まさにその人間の知恵顛倒を指しているのたではないか。 にもかかわらず、近代日本は、その無明を文明開化とのみ見て、それに向かって進みでたのでありましょう。その当初の仏教の排除は、まさにその無明の現れにほかならないと言えます。そして、大切なことは、このとき仏教の側もまた、ときの状況に圧されてその生者中心の思想に妥協したと言うことです。これは何か。親鸞に次の和讃があります。

 末法五濁の有情の
 行証かなわぬときなれば
 釈迦の遺法ことごとく
 竜宮にいりたまいき

 いまに思えば、まさに近代日本とは、真実の法がことごとく竜宮に圧しこめる時代であったと言えましょう。そして、何が近代日本を待っていたか。現代の弱肉強食の渦巻きです。文明開化とは、確かにまた、弱肉強食の世界的展開でもあったと見てよいのです。

 まさにこれこそが「よきことしたるが、わろきことあり」です。そうであれば、今日の私ちが求められているのは、まさに真実のいちのと知恵です。蓮如が、地獄の室町期に依拠した親鸞の大地が、いま真っ直ぐに見つめられていいのです。

(『深く真実のいのちを見つめる』 その2)