『有事』異変      高史明

   鋭い剣が見える。  

 眠れない夜が続く。私たちは何処にいるのか。暗闇に白く光る剣が浮き上がって見える。夢ではない。その剣には、深い刻印が打たれていた。「有事―」 「有事」とは何か。

 私は毎夜のように尋ねないではおれない。すると、暗がりに陰気な声が流れるのである。「戦争や事変などの起こること」 そして、私はまた尋ねるのだ。「戦争とは何か」 応えのない夜がつづいた。

 そして、ある夜、不意に陰気な声が耳底を打った。「『有事』区分あいまい。」しかし、その声は「武力攻撃事態」と「周辺事態」の区分があいまいだと説くのみで、戦争とは何かについては応えなかった。私はさらに尋ねないではおれない。「戦争とは何か」

  ある夜、また暗がりに陰気な声が流れた。「風向きによっては我が家に火が移ってくる。我が家に火が移りそうな段階が『予測される事態』で、『周辺事態』は近所の火事の消火を支援する事態だ」 しかし、私はしつこく尋ねた。「戦争とは何か」と。

 私の知りたいのは、戦争についての明確な応えなのである。すると、ある日、暗がりの中に楽しげな声が舞い上がった。「備えあれば憂えいなし。備えあれば憂えいなし」 その夜から、私はいっそう重い頭痛に見舞われることになった。「そなえあれば憂えいなし」とは、初めて聞く声ではなかった。一八九一年(明治二十四年)、井上哲次郎は「勅語衍義」を書いていた。教育勅語の解説である。

  「―然ルニ、印度、埃及土、緬甸、安南等ハ巳ニ其独立ヲ失ヒ、暹羅、西蔵、朝鮮等ノ諸国ハ極メテ微  弱ニシテ、独立ヲ成スコト甚ダ難カラン。―然レバ苟モ我ガ邦人タルモノ、国家ノタメニハ一命ヲ塵芥ノ  如ク軽ンジ、奮進勇往、以テ之レヲ棄ツルノ公義心ナカルベカラズ。然レドモ此ノ如キ精神ハ不虞ノコト  ナキニ先ダチテ、コレヲ鼓舞セザルベカラズ。盗ヲ見テ始メテ縄ナハバ、誰レカ其愚ヲ笑ハザランヤ。」

 その後、何があったか。日清戦争が起き、日露戦争はまた、その十年後であった。その後の近代日本史は、まさに戦争に継ぐ戦争だった。そして、第二次世界大戦の地獄が待っていた。これが「脱亜入欧」の帰結だった。

 しかも、このときの戦争は次なる戦争が、絶対戦争になることを警告するものではなかったか。恐ろしい災厄があった。 日本は、このとき世界中の無量の仏さまに向かって、深甚なる慙愧を持って、戦争放棄を誓ったのであった。それともあの誓いは、占領者の顔色を窺っての詭弁であったのか。

 私はあの夥しい仏を思うとき、仏罰を思わないではおれない。人類はいま、絶対戦争の瀬戸際に立っているのだ。

 眠れない夜は、なお続くに違いない。

 

(『有事』異変』 )