『現代日本と明治と清沢満之』  高 史明

第1章

  二十一世紀は何処に向かうのであろう。人間世界の地殻にはいま、深い危機的な亀裂が広がりつつある。この世紀の初頭、世界の超大国アメリカが、九・一一の同時多発テロに襲われたのだった。その直後、大統領のブッシュ氏は、世界に新しい戦争の開始を宣言した。そこには文明と野蛮、善と悪の戦いが始まったという言葉があった。世界の危機は、テロにつづくこの宣言とともに、いま刻々に深まることになったと言えよう。

  テロは、確かに恐るべき罪悪である。だが、それを契機に新しい戦争の開始を告げるとは何であろう。文明とは何か、野蛮とは何か。また善とは何か悪とは何か、いまそれがつくづくと考えられる。思えば、人類はこのテーマを早くから自らの前に据えていたのであった。釈迦やソクラテスが、見つめていたのも、この人類の根本課題ではなかったろうか。近代世界で言えば、ヨーロッパとアジアの出会いにおいても、この課題が激動の渦の中心にあった。明治維新が文明開化という言葉で捉えられる所以でもある。

  ところで、清沢満之は、その激動の時代の幕末に生まれ、日露戦争までの明治を生きた人であった。その還浄は一九〇三年である。念仏に生きようとする人々の間にあっては、よく知られた人である。とはいえ、一般的に言って、今日の日本ではこの真実の念仏者を知る人は、ごく限られていると言えまいか。相当の知識人であっても、清沢満之を知る人は少ないのである。この一事が物語るものは何であろう。近代文明の根っこの闇とともに、近代日本における仏教界の低迷が、ここに見て取られるのではないだろうか。