『現代日本と明治と清沢満之』  高 史明

第2章

  まずは文明開化の人、福沢諭吉において、その明暗を考えて見たい。彼はいわば文明開化を担ってきた知識人として、いまや一万円札に登場している。日本を代表する顔となっているのである。それが語ることは何か。例えば、彼の『学問のすすめ』は、まさしく文明開化の原点を明示していると言えよう。彼はその冒頭に説き起こしていた。「天は人の上に人を造らずといえり」と。彼は中津藩の下級武士の子であった。「門閥制度は親の敵でござる」と考えていたのである。彼はその原点から、人間平等の道を展望してゆき、その要に「実学」の学びを提示したのであった。それこそが「身も独立し家も独立して天下国家も独立すべきなり」という近代文明の原点なのである。そしてその実学とは、まさに合理的・科学的な理性にほかならない。それこそが近代文明の根っこなのであった。

  確かに人間中心の理性の功績は、眩しいほどのものであったと言っていい。とはいえ、そこにはまた、深い闇が潜んでいたのではなかったか。福沢諭吉は、朝鮮の近代化が挫折したとき、その対象的に働く知恵によって何を言うことになっていたか。彼は『脱亜論』で言っていた。「我国は隣国の開明を待ちて共に亜細亜を興すの猶予あるべからず、寧ろその伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、其の支那朝鮮に接するの法も隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、―正に西洋人が之に接するの風に従って処分す可きのみー」と。そして、日清戦争が起きたとき、『臣民の覚悟』を発表した。その眼目は「日本国中一人残らず一心同体の味方にして目指す敵は支那国なり。―日本臣民は事の終局に至るまで政府の政略を非難す可らず」であった。

  この「臣民」とは、まさしく『教育勅語』の精神原理を体現するものにほかならない。ところで、朝鮮王妃の閔妃が、ソウルの王宮に乱入した日本軍の守備隊に惨殺されたのは、この『臣民の覚悟』の翌年のことであった。そして、日米開戦の前夜、時の文部省は同じ精神原理にたって『臣民の道』を鼓吹したのではなかったか。その戦争は、実に夥しい犠牲者を深い涙とともに生み出した。対象的に働く人間中心の知恵には、まさしくその対象的な正確さに正比例して、自らを省みることができなくなる闇が潜んでいたのである