『現代日本と明治と清沢満之』  高 史明

第3章

   ところで、同じ明治の人である清沢満之は、この臣民の原理をどのように見ていたであろう。彼は命終の前年に述べていた。「釈尊の国が滅亡しやうが、日本が進もうが、又文化的になろうが、なるまいが、さういふことには関らず、唯だ平等の眼光を以て、救はせ給ふ如来の慈悲を喜び,其の光明に助けらるるので、其の慈光は、今後何百萬年の後、否過去現在未来の三世を通じて、時間上、永久無限に変はらせ給ふことはないのであります」=(精神主義)

  しかも、その死の六日前には、さらなる絶対他力の境地に立っていた。清沢満之はその『我が信念』において言う。「私は私の死生の大事を此の如来に寄託して、少しも不安や不平を感ずることがない。―私の信ずる如来は、此の天と命との根本本體である」と。それにしても日清戦争のときの福沢諭吉と対比して、その十年後の日露戦争の前夜におけるこの自由な境地は何であろう。清沢満之をして宗教的天才と呼ぶ人がある。しかし、浄土真宗には、天才の自覚は必要ないのである。清沢満之もまた、深く苦しんだのであった。子に先絶たれ、妻にも死なれていた。何よりも、その苦悩のどん底から、「宗教的信念」の構築に全力を傾注しながら、それが次々に崩壊してゆくのを目前にしたとき、その絶望はどんなに深かったであろう。

  「自己に対する義務、他人に対する義務、家庭に於ける義務、社会に於ける義務、君に対する義務―所謂人倫道徳の教えより出づる所の義務にても、之を実行することは決して容易なことではない」「私はこの不可能に衝き当たりて、非常なる苦しみを致しました。―然るに、私は宗教によりて、此の苦しみを脱し、いまに自殺を感じませぬ。即ち、私は無限大悲の如来を信ずることによりて、今日の安楽と平穏とを得て居ることであります」と彼は言っていた。

  ではその「宗教」とは何か。論理や学問ではなかった。まさしく根底から打ち壊された自己の理性の荒野に、新しく芽吹いた如来の"いのち"の智慧なのである。あるいは清沢満之は、自己の心身に深く横たわる人類史的な闇から、自然の念仏が吹き上がるのを聞いたのではなかったか。ただ念仏のみぞまことである。「然るに、信念の幸恵により、愚癡の法然房とか、愚禿の親鸞とか云ふ御言葉をありがたくよろこぶことが出来―」と清沢満之は述べていた。それこそ自利利他の世界であり、個の真の救いなのである。

 真の文明は、善と悪の二項対立を絶対化する人間中心の知恵によっては、完成されないのであつた。今日の危機的状況は、まさに善と悪、文明と野蛮の二項対立の絶対化によって呼び起こされているのである。昭和の暗さは、まっすぐ明治の闇と通低していたのである。その明治の闇のどん底を、真宗の真実とともに生きた清沢満之の眼差しは、人類史の課題を見つめて、今日いよいよ深く未来を開いていると言っていい。