『時代によみがえる歎異抄』  高 史明

はじめに

 人類はいま、何処にいるのでありましょう。仏教に「末法」という眼差しがありました。「末法」とは、人間の歴史を予見して、その根っこに深い闇が潜んでいることを指摘する眼差しです。つまり、人間とは人間中心のままでは、その歴史の積み上げとともにいよいよ深くあるがままの「いのち」を見失い、ついには奈落に墜落してゆくだろうというのです。現代はまさしく末法の状況に墜落しつつあるのではないでしょうか。

 世界の地殻にはいま、深刻な亀裂が走っています。 米英軍がこの三月二十日、中東の国イラクに対して、大規模の軍事行動に踏み出したのでした。日本の山々が美しい萌黄色に染まり始めている今も、イラクの町々や砂漠の地では、現代のハイテク兵器が夥しい人のいのちを、刻々に奪いつづけている状況が起きたのです。米英は世界の超大国です。とりわけアメリカは一国だけでもって、地球全体を繰り返し破壊できる核爆弾を手にしていると言われているほどです。アメリカのブッシュ大統領は、その軍事力を背景にして、開戦と同時にその勝利を明言していました。この戦争は、小人と恐竜の戦いにも等しいのです。

  だが、ブッシュ大統領が世界に声明した「勝利」とは、何を意味するものでしょうか。いまも激戦が展開されているチグリス・ユーフラチスの流域は、人類の古代文明発祥の地でした。その文明発祥の地が、文明の名による恐ろしい流血の戦場となっているのです。しかも、この米英軍の軍事行動は、いかにフセイン政権が非道だったとしても、世界平和の要石でもあった国連の意向を無視して決行されたという点では、決してゆるされてはならないことでした。この戦争には人類存続を、根本から脅かす闇が横たわっていると考えられます。もし、米英軍がこの戦争において決定的な勝利を手中にするなら、これからの世界には強者の独善が猛威をふるうことになるでしょう。その結果、世界の地殻の裂け目はいよいよ深くなり、さらに恐ろしいマグマが噴出してくる恐れがないとは言えません。

  思えば、彼の地では、第二次世界大戦の以前から、すでにさまざまな悲劇が続いているのでした。今日のイスラエルとパレスチナの悲しい衝突もまた、いわゆる西欧の文明大国がもたらした闇の現れにほかならないと言えますまいか。いうなれば、人間の近代文明の栄光の裏側には、恐ろしい闇が幾層にも折り重なっているのでした。その闇の深さは、まさに「末法」という眼差しが予見した通りのものだと言うほかありません。

  例えば、アメリカ大統領のブッシュ氏は、二十一世紀の初頭のアメリカを襲ったいわゆる同時多発テロの直後、ほとんど反射的に「十字軍」という言葉を口走っていました。気づいてみれば、現代のアメリカ大統領の下意識にも、中世のイスラムを侵略した西欧諸国の「十字軍」の悲劇が滲みついていたのでした。ブッシュ氏の言明は、世界に恐ろしい悪夢の甦りを予感させるものだったと言えます。さすがにこの「十字軍」という忌まわしい言葉は、その後すぐに撤回されますが、ブッシュ氏がそれに代えたのは善と悪、文明と野蛮の戦いというものでした。この違いはなんでありましょう。この違いは、違いであるよりも、まさに近代西欧文明が生んだ人間中心の知恵の闇を、如実に示すものではないでしょうか。この違いは、むしろそこに通底する闇の深さを示していると思えます。

  しかも、ブッシュ大統領はその言明の延長線上において、さらにイラクとイラン、また北朝鮮を「ならず者国家」と指名して、核兵器の使用を含む先制攻撃を明言したのでした。核大国のアメリカのこの声明は、まさにまさに人間中心の知恵が、いかに恐ろしい闇を潜めているかを物語っています。そして、今日の戦争が始まったのでした。イラク戦争におけるアメリカの勝利は、そのまま新しい世界の危機の導火線にならないとも限りません。現代は、まさしく末法のただ中にあると考えられます。

  人間はいま、深く自らを見つめるときにきているのではないでしょうか。近代の五百年が、まるごと見つめ直されていいのです。いや、人類の歴史が、千年二千年という深さで省みられていいと思います。見渡せば、私たちの身辺に押し寄せているのは、戦争の業火だけではなかったのでした。恐ろしい業火の広がる世界には、その足下に深い経済不安と世界的規模での環境破壊が浸潤しています。しかもその上、私たちの脳底には、現代文明のもたらした底知れない精神の空洞化が広がっていると考えられます。いわゆる文明国では、その繁栄の陰で深く家庭崩壊が進行しているのです。

  たとえば、世界の超大国アメリカでは、一九九〇年だけに限ってみても、実に二万三四三八件からの殺人事件が起き、十万二五五五件の婦女暴行事件おきているというFBIの報告が報道されていました。核大国のアメリカはまた、銃社会の歪みを抱えているのです。いわゆる湾岸戦争は、その一年後ではなかったでしょうか。イラク戦争が、まるで無機質なテレビ・ゲームのように展開している一方で、私たちの日々もまた、刻々に真実の生気を喪失していると言っていいのです。世界中に仮想現実が広がっています。その一番の犠牲者は世界の子どもたちです。現代の繁栄は、未来を担う子どもたちを窒息させていると考えられます。日本でも、少年たちによる信じられないような事件が続発しました。今日の時代の繁栄は、確かに刻々に深く「いのち」を見失っているのです。

  ところで、私たちはいま、この深く厳しい暗闇のただ中において、『歎異抄』を見つめ直そうとしているのでした。この縁は、何ものによるいかなる計らいなのでありましょう。いや、私はこれこそ仏縁なのだと思います。思えば、『歎異抄』は、中世日本の末法の地獄を生きた親鸞聖人が、黒闇の現実のただ中に見届けた仏教の真実なのでした。日本が生んだ真の念仏者・親鸞聖人は、中世日本の末法の現実に何を見つめておられたか。また、末法とは人間の無明の現れなのでした。そして、この無明こそが、人間の生・老・病・死の四苦の源です。

  親鸞聖人は、末法のただ中を生き抜いて、その人間の無明を超えてゆく真実の知恵を明らかにされたのでした。『歎異抄』が、その後、七百有余年にわたって数知れない人々の心の糧となってきた所以です。ある人は、激動の時代の奈落にあって、この書を開いたものと思われます。真実の光は、深い闇のただ中において、いよいよ澄んでくるのでした。中世日本の末法の闇に現れでた『歎異抄』は、今日の闇においても、きっと真実の光となるに違いありません。七百有余年の歳月の間、人々の光となり続けた『歎異抄』の秘密は何所にあるのでしょう。その秘密を開き、今日の闇をゆく真実の光を共に学びたいと念じます。  『歎異抄』の全体は、前序と十八章からなる本文、そして後序から成り立っているのでした。今回はその全体の中の十章までを中心に学びます。『歎異抄』はこの十章までが、親鸞の直接の言葉なのでした。残りの八章は、その教えに反した異る見解です。なお、このテキストには、『真宗聖典』(東本願寺出版部)を底本として、『浄土真宗聖典』(本願寺出版部)の深い味わいを加味した本文が、別掲の形で収録されていることを申し添えておきたいと思います。    合掌