『時代によみがえる歎異抄』  高 史明

歎異抄 第四章

一 慈悲に聖道・浄土のかわりめあり。聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし。浄土の慈悲というは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲心をもって、おもうがごとく衆生を利益するをいうべきなり。今生に、いかに、いとおし不便とおもうとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。しかれば、念仏もうすのみぞ、すえとおりたる大慈悲心にてそうろうべきと云々

聖道 自らの力を頼りに修行し、この世で悟りを開こうとする聖者の道。浄土教では仏教を聖道門と浄土門の二つに大きく分ける。

「聖道」と「浄土」

 第四回となりました。第三章では人間の世界の善人と悪人のきまりの違いを、「往生」の真実を鏡として見つめてきました。思えば、人間は他の生き物と違って、人間の自分といえる知恵を生きているのでした。それが自力というものです。それ故に、その人間の世界には、自分の知恵を基準とした善と悪の色分けがなくてはならなかったわけです。しかし、その人間中心の知恵はその色分けの積み上げにともっなって、ものそのもの、ことそのことが見えなくなるだけにとどまらず、人間を自分中心にし、大きな「いのち」の一員にほかならない自分を、小さく切り取り、自分のいのちとして私物化する闇とともにあると言ってもいいのです。

 人間とは、己れの知恵で大きな「いのち」の古里を見失い、元は一つだったいのちを、生と死とに分裂させて、こころに深い不安を抱くことになっているのだと言えます。「慈悲」とは人間をこの自力の不安から解放し、元の「いのち」に生き直させる仏の智慧を意味します。苦を抜くを「慈」といい、楽をあたえることを「悲」というわけです。

 とはいえ、この阿弥陀の道が、「聖道・浄土」の「かわりめ」に色分けされる事態になっていたのです。人間の自分中心の知恵が、仏教の世界にも浸透していたわけです。「かわりめ」とは、同じ布に染め分けられた色のかわり目を意味しているのです。第四章の冒頭は、この両者の違いを明らかにしています。しかし、等しく「慈悲」という仏さまの智慧を説く道でありながら、そこに聖道・浄土の違いが生まれたのは、何ゆえでありましょう。いま少し本文に沿って、その違いを考えたいと思います。

  「聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり」とは、何を意味しているのでありましょう。「あわれみ」とは、こころから不憫に思うことです。また、「かなしみ」とは、愛しみとも書き表すように、こころからいとおしむことにほかなりません。そして、「はぐくむ」とは、文字通り養い育てることを意味しています。ところで、この三つの言葉は、まさしく親の子を見つめる眼差しそのままだと言えないでしょうか。確かに「聖道」とは、子を見つめる親の眼差しに等しいと言っていいようです。人間の自分中心の知恵の結晶であって、いわば学問によって真実に至ろうとする道にほかならないわけです。それ故に「聖道」はまた、自力の道とも言われていました。

 ところで、この「聖道」に対して、「浄土」の道があるわけです。浄土の慈悲は「念仏」が中心です。「念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲心をもって、おもうがごとく衆生を利益するをいうべきなり」と言われています。とはいえ、「念仏して、急ぎ仏になりてー」とは、何を意味する言葉でありましょうか。現代人にも、念仏する人は、少なくありません。しかし、「いそぎ仏になりてー」言われていることを、どう受け止めればいいのでありましょう。現代人はここで、ふと息を呑むのではないでしょうか。念仏することはできても、仏になれたという心境になれる人は、きわめて少ないと言っていいのです。「念仏して、いそぎ仏になりて――」とは、自分の知恵中心に生きている私たちには、容易に理解できない言葉だと言えます。理解しやすいかどうかで言うなら、むしろここは、「ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり」と言われている「聖道」の方が、受け入れやすいのではないかと考えられます。

 実は、私の場合がそうだったのでした。愛する子が、突然に世を去った後、深い涙とともに何度、この聖道を説く言葉を読み返したことでしょう。聖道という言葉で解かれているありようは、そのまま私のことでした。それこそ私は、子を愛し、いとおしみ、大切に育ててきたのでした。かけがえのないいのちだった。しかし、この私はその子を死なせてしまったのでした。それこそ「おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし」だったのです。そしてここに、私の『歎異抄』との出会いもまた、始まったのでした。

  では、「浄土の慈悲」と説かれた言葉には素直に頷けたか。いや、私は自分中心の知恵に敗れながら、この浄土の慈悲をすぐに受け入れることができませんでした。容易に頷けなかった。何年も何年もそうでした。「念仏して」と言われていることが、頷けなかったわけではありません。それどころか、気が付くと、私は何時しか念仏するようになっていたのでした。子の死後、いつしか念仏しない日は一日もないと言っていいと思います。にもかかわらず、頷けなかった。胸底が張り裂けそうになっていながら、頷けなかった。「念仏して」から、「いそぎ仏になりて」という言葉の間には、生身では超えられない深淵があったのでした。

 思えば、人間とは、その深い深淵を生きているのだと言えます。「愛別離苦」という言葉がありました。人間は、深い愛情にやしなわれ、愛情に生きるが故にまた、愛する人との永別の悲しみを生きるほかないと言っていいのです。親との永別、妻や夫、兄弟との永別の悲しみを生きている人は、それこそ数限りないと言えましょう。とりわけ、子との永別は、悲しみの極みです。親との永別のときには、なお涙の目のなかに細い一筋の路が微かに残されているものです。しかし、子の死は、時間の順序を打ち壊してしまうのです。この逆縁に襲われるなら、いかなる人も大地をたたいて泣くのではないでしょうか。時間が壊れた人は、生きることも死ぬこともできないのです。このいまも、刻々に涙する親がいるに違いないと思います。その悲しみは、まことに耐えがたいものです。

  あるお母さんは、子に先立たれた後の悲しみを次のような言葉にしていました。

 「がんばれ、がんばれという言葉はつらい。人間、がんばれんときがあるもの。どうやってがんばればいいのか。それさえわからないもの――」(『君は空の笑顔』樹心社)

 そのお母さんは、医療ミスによって中学一年の長男を亡くしたのでした。頑張って、自分が子の身代わりになれるものなら、そのお母さんは身代わりにでもなって、子を助けたかったに違いないのです。母親の悲しみは、自分が死んでも子の身代わりになりたいほど深いのです。しかし、人間はどんなに頑張っても、亡き子の身代わりにはなれないのでした。

  私たち夫婦は、この悲しみの時を生きることになったのでした。そしていつしか二十八年になります。何人も何人もの人が、同じ悲しみを生きていました。とはいえ、とりわけ母親の悲しみには深いものがありました。男性は、何もかもが壊れたあと、なお生きている限り、社会的な繋がりに帰ることができるわけです。会社に出かけて、仕事に打ち込むのです。しかし、女性は、時間が壊れ、頭の知恵に基づく社会的な絆のすべてが切断されたときになって、いやでも気づくのです。母親は何もかもが切れた瞬間から、自分と子の臍の緒の悲しみを意識しないではおれないことになるのです。その母親の臍の緒に疼く悲しみこそは、まさに人類史的な悲しみだと言えましよう。人類の歴史には、存在そのものに即していうなら、この悲しみが張りついていたのでした。誕生の喜びには、すでにして悲しみの涙が張り付いているわけです。仏とは、その人間のいのちの悲しみを見つめているのでした。そして、涙していたのです。それこそ仏の涙です。

 私にとっては子の死は、その深い涙を教えられる仏縁でした。にもかかわらず、私にはこの仏縁が、容易にいただくことができなかったと言うほかありません。「浄土の慈悲」が、素直に頷けなかった。繰り返しですが、私と「いそぎ仏になりて」といわれている世界との間には、超えられない深淵が横たわっていたのでした。骨の砕けるような苦しみ、悲しみにのたうちながら、いよいよ分かる知恵にしがみ付こうとする自分がどうすることもできなかったのです。恐ろしい深淵に身を投じようとしたことが、何度あったことか。

 人間の業の何という深さでありましょう。人間とはまさにこの業を生きているのでした。ところで、四章の冒頭を開く「聖道・浄土のかわりめ」とは、まさにその人間の業の深さを物語るものだとも言えましょう。自分といえる知恵が砕かれながら、なお自分にしがみつこうとする人間。仏教はその人間とともにあるのでした。それ故にまた、その歴史には聖道と浄土の葛藤が色濃く染み付いているわけです。この四章の冒頭は、まさに日本におけるその聖道と浄土の葛藤を物語るものにほかなりません。ここに、法然と明恵の間の厳しい論争を、改めて思い起してみましょう。

  阿弥陀の信方便

  「慈悲に聖道・浄土のかわりめあり」という言葉の登場は、『歎異抄』が初めてではなかったのでした。同じ言葉が、法然の『選択本願念仏集』にあるのです。聖道とは、法然の『選択本願念仏集』によれば、すでに歴史的生命の終わった教えでした。法然はその現実認識に立って、ただ念仏のみが真実であると説いたわけです。それが浄土の教えの開示となったのです。

 ところで、華厳の高僧・明恵が、この法然の『選択本願念仏集』に実に厳しい批判を浴びせていることが注目されます。彼にはこの法然の念仏のみを真実とみる視点が、仏法を破壊するものと見えたわけです。明恵上人は、『摧邪輪』によって言うのです。「ここに近代、上人あり、一巻の書を作る。名づけて選択本願念仏集と曰ふ。経論に迷惑して、諸人を欺誑せり。往生の行を以て宗とすと雖も、反つて往生の行を妨礙せり」と。(日本思想大系15『鎌倉旧仏教』岩波書店)

  明恵にとっては、まずは菩提心が大切だったのでした。菩提心とは、いわば仏の悟りに至ろうとする人間の深い願いです。明恵には、その菩提心を軽んじて、何処に仏教があるかと思えたのでありましょう。しかし、それこそが、人間の自分中心の道というものではなかったでしょうか。もちろん、釈迦の教えが、そのまま生きていた正法の時代には、それでよかったわけです。だが、時代はまさに鎌倉期の地獄の真っ只中だったのでした。しかも、聖道の教えは、その地獄を生きる人々の救いになってはいなかった。それどころか、人間の自分中心の知恵こそが、まさに人が人を食み、殺し合う地獄をつくりだしていたのです。にもかかわらず、明恵にとっては、いよいよ菩提心が大切だったわけです。

 ここに現代に通底する人間の闇があると言えます。私のことで言いますなら、自分中心の知恵が打ち砕かれていながら、いよいよそれにしがみ付こうとするわけです。しかし、時代の闇の根っこに人間の自分中心の知恵が横たわっているのであれば、どうしてその時代の闇を、自分中心の知恵によって超えられましょう。それこそ個人でいうなら、死の恐怖を、恐怖する自分中心の知恵で超えようとすることに等しいと言えます。矛盾です。法然はまさしくその人間の闇を、時代の闇と重ねて見つめることができた人だったのでした。いま少し、法然の説く「ただ念仏」の真実を見て置きたいと思います。

  法然の父親の漆間時国は、末法の暗雲の覆う保延七年、領主側の明石源内定明の闇討ちにあって絶命したのでした。法然の九歳のときです。一家はこのとき没落しています。そして、法然は叡山に上ったのでした。父親の遺言だったと言われています。しかも、それはまた、追求の手を逃れて生き延びる唯一の道ではなかったでしょうか。法然は、その一家の悲しみを時代の地獄と重ねて、仏教の教えに励んだのでした。仏教の教えの隅々に深く分け入っていると言われています。第一級の大学者になっているのです。しかし、その法然にまた、次の言葉があるのでした。

  「かなしきかなかなしきかな。いかがせんいかがせん。ここにわがごときは、すでに戒定惠の三学のうつはものにあらず。この三学の外(ほか)にわが心に相応する法門ありや。わが身にたへたる修行やあると、よろずの智者にもとめ、もろもろの学者にとぶらひしに、をしゆる人もなく、しめすともがらもなし。しかるあひだ、なげきなげき経蔵にいり、かなしみかなしみ聖教にむかひて、てづからひらき見しに、善導和尚の『観経の疏』にいわく『一心専念弥陀名号、行住坐臥不問時節近、念念不捨者、是名正定之業、順彼仏願故』という文を見えてののち、われらがごとく無智の身は、ひとへにこの文をあふぎ、もはらこのことわりをたのみて、念念不捨の称名を修して、決定往生の業因にそなふべし。―」(『和語燈録』名著普及)

  当代一の知恵者とまで言われた人にして、この言葉だったわけです。人間とは自分の知恵が自分の闇となっているのでした。その人間は、いかに自分中心の知恵を磨こうとも、いのちの真実に至ることはできないと言えます。法然はこの人間の知恵の根本矛盾の極限を生きて『選択念仏集』を開示することになったのでした。それは末法の奈落から、生まれるべくして生まれきた浄土の真実だと言えましょう。

  親鸞は、その法然の教えに帰依したのでした。「よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の仔細なきなり」です。そして、その深い確信の裏にはまた、親鸞自身の恐ろしいまでの人間凝視があったに違いないと考えられます。親鸞の出家は、九歳のときでした。親鸞もまた、一家離散の悲しみを知っていたのではないでしょうか。また、叡山の修行中に何を見たのかと思います。「罪悪深重・煩悩熾盛」とは、まさに恐ろしいほどの眼差しです。親鸞聖人は、人間の分かる知恵の闇を、そのどん底において生きてきたのではなかったか。ただ内観しているわけでいないのです。戦乱の時代は、まさに人間が善人であることを許さないのでした。それどころか、末法の時代では、善人こそが、もっとも恐ろしい悪を犯すと言えます。それこそが、人間と戦争というものでありましょう。鎌倉期は、まさにその末法のときでした。

  しかも、その上、親鸞は法然とともに、死罪をも含む法難の嵐を生きたのでした。師の法然の追放と、西意善綽房ら四人の念仏の同朋の死罪、そして、自らもまた、京都を追放される身となったとき、その全身に凍みとおった寒風は、どんなに冷たいものであったかと思います。しかも、親鸞は越後への追放がゆるされてからも、京都には帰らなかったのでした。その時代の辺境ともいえる常陸に向かい、いっそう京都から遠ざかっているわけです。そして、農民たちとともに生きたのです。

  しかし、親鸞はこの人生の極北を生き抜いたのでした。しかも、この法難を契機として、「愚禿親鸞」を自らの名乗とすることになっています。「愚禿」とは、僧でもなく俗でもない人の名乗りです。僧であって、僧ではなくなった親鸞。その一身にはまさに、世界全体の恐ろしい重圧がのしかかることになっていたのではないでしょうか。まさに孤立無援となったわけです。言うなれば、ただ人になったのです。ただ人とは、人間の闇の極限を呼吸している人にほかなりません。法難に見舞われた親鸞は、ただ一人となったとき、まさに「死ぬか、気が違うか」の孤独を呼吸することになったに違いありません。しかし、世界の何処にも寄る辺のない独りになってから、親鸞は万人の生の真実を根っこから凝視することになったのではないでしょうか。本当の一人こそが、万人の真実を見定めることができるのです。

 親鸞は愚禿と名乗るほかない一人になったとき、この愚禿の上にさらに「親鸞」の二字を重ねることになっていました。「親鸞」の「親」は、「天親」に因んだものです。天親は聖道となってゆく仏教の流れのただ中を生きて、浄土の教えを「浄土論」として表した人でした。そして、「鸞」の方は、同じ浄土の祖師の一人「曇鸞」から拝借した一字です。まさに親鸞は、善人の世界から追放されて、孤立無援の一人になったとき、その寒さの極北において、逆に念仏者の信念に生きる人になったのだと言えます。

  「親鸞」のまるごとは、まさしく歴史のどん底が生んだ阿弥陀の智慧の真実の開示だったとも言えましょう。まさに仏の真実は、人間中心の地獄の底において、初めて甦るのでした。思えば「浄土の慈悲というは、念仏して、いそぎ仏になりてー」の一言には、まさにこの親鸞の一生が結実していたのです。人類史で言えば、まさに臍の緒の悲しみを射抜いているのだと言えます。親鸞はその極北の人生を生き抜いて、ついに「念仏して」と「いそぎ仏になりて」の間によこたわる深淵を超えたのです。その極北の晩年に至って、ついに顕した『教行信証』が思い合わせられます。たとえば、その信巻には、次の言葉があるわけです。

 「金剛の真心、これを『真実の信心』と名づく、真実の信心は必ず名号を具す。名号は必ずしも願力の信心を具せざるなり。このゆえに論主建めに『我一心』と言えり。また『如彼名義欲如実修行相応故』と言えり。」

  真実の信心には、必ず名号が備わっていると言うのです。何という言葉でありましょう。法然はただ念仏と教えたのでした。親鸞はその道を一筋に生きて、人間とはまた、念仏を自分中心に称えるものであると見抜いているのです。「名号は必ずしも願力の信心を具せざるなり」です。親鸞はまさしくその孤独な歩みを通して、人間の無明の根っこ踏み破ったのだと言えます。いまに思えば、「念仏して、いそぎ仏になりて」を前にして、いつも立ち竦んでいた私の念仏とは、この自分中心の念仏だったわけです。言うなれば、私の念仏は、まさに自分中心の「神頼み」にも等しかったのです。その自分中心こそが、まさに「いそぎ仏になりて」という言葉を前にするとき、ただ深淵を感じるほかなかったわけです。「真実の信心は必ず名号を具す」とは、まさに阿弥陀の智慧そのものだと言えます。「念仏して」とは、まさしくその真実の「信心」の誕生だったわけです。繰り返しですが、阿弥陀の智慧の誕生です。それこそがまさに、「真実の信心は必ず名号を具す」です。『教行信証』に読み解かれているこの阿弥陀の智慧に気づいたのは、長い悲しみの歳月を積み重ねが、どれほど続いてからだったでしょう。十数年が経過していたのではなかったか。しかし、その歳月はまた、決して無駄ではなかったのです。自分中心の念仏であったとしても、その悲しみの歳月があって初めて、私の自分中心の知恵は破れたわけです。

  親鸞聖人に「果遂にの誓い,良に由あるかな」と言う言葉がありました。念仏を称えつづける者には、必ず真実の世界が開けるということです。この真実の信心を顕している言葉が、悲しみの涙のただ中に浸透してきたとき、私ははじめて長い間のしこりが溶けてゆくのを覚えたものです。亡き子の声が聞こえるようになったのです。小さな白骨がありありと思い返されました。その白骨が念仏していたのです。鎌倉期に誕生した阿弥陀の智慧の新生は、まさに今日をいきる私個人にとつても真実だったのです。念仏とは、まさに仏の智慧だったのです。私は仏縁によって、その真実のいのちに導かれたのでした。真実の信心とは、まことに深い真理です。ここに「信方便」という言葉が思い返されます。

  思えば、法然、親鸞に至るまでの浄土の流れは、龍樹菩薩に源流があったのでした。龍樹は学問となってゆく仏教を見つめて、その『十住毘婆沙論(じゅうじゅうびばしゃろん)』の易行品(いぎょうぼん)において述べるのです。「――仏法には無量の門があります。世間の道に難があり、易あるのと同じです。陸路の歩行は即ち苦しく、水路を船に乗せられてゆく方が楽なのです。菩薩の道もまた、これと変わりません。あるいはこころを尽くして行に勤め、精進するものがあり、あるいは信方便の易行をもって、瞬時に覚りの境地に至るものもいるのです」と。

 人間が自分の知恵の闇を、自分の知恵で超えようというのは、まさに陸路を徒歩で真理に至ろうとすることに等しいというほかありません。龍樹はこの人間中心の知恵の矛盾を見つめて、阿弥陀の智慧を「信方便」として明らかにしたのでした。浄土の教えは、彼のこの眼差しを源流として始まり、深まり、広まったと言われています。確かに、陸路を行くのは困難であり、水路を船に運ばれてゆく方が楽です。

 そして、その龍樹菩薩の源流にそって、あの「我一心」という言葉を明らかにした天親菩薩が生まれているわけです。まさしく「我一心」とは、弥陀の智慧にほかならないと言えます。曇鸞大師は、その天親の『浄土論』を深く詳細に読み解くのです。また、その曇鸞大師につづく道綽禅師が明らかにしたのが、あの第四章の冒頭の「慈悲に聖道・浄土のかわりめあり」という言葉だったわけです。そして念仏ただ一つの真実を高く掲げた善導大師が、その浄土の流れのただ中に誕生したのです。日本の法然は、この浄土の祖師たちの流れをさらに深めたのでした。その大地は、まさしく浄土の流れの新生だったと言えましょう。

  「聖道と浄土のかわりめ」とは、ただの一言です。しかし、そこに現わされて真実こそは、人間の歴史を貫き現代人にもとどく他力の真実です。さて以上をもって、そろそろ四章の締めくくりにはいりたいと思います。この四章もまた、それまでの章と同じように十四章の「自見の覚悟」に対応していると考えられます。最後にその十四章との対応を考えて、この章を終わりにします。

 十四章の冒頭は、次の言葉でした。 「一念に八十億劫の重罪を滅すべしということ。―」この言葉の意味するところは、極めてはっきりしています。まさに滅罪の利益を説いているわけです。人間は自分中心の知恵を生きる故に、その知恵による善と悪のきまりを作らざるを得なかったのでした。ところが、人間とはまた、それゆえに自分が作った決まりに自分で迷うのです。それこそが人間の知恵に潜む矛盾です。そこで人間は、いつも自ら罪をつくり、いつも滅罪の利益を願うわけです。もちろん、自らの罪を反省することはいいことです。だが、その反省は、自分の知恵そのものを反省するとろにまで深まることは、めったにないのです。この一点は、しっかりと見つめられていいのです。

  つまり、滅罪の利益には、いよいよ自分中心の闇にはまってゆく闇が潜んでいるということです。十四章では、その根っこの闇がみつめられているのです。そして、次のように断言されています。「いまだわれらが信ずるところにおよばず。―」そして、その締めくくりにはまた、次の言葉があるわけです。「つみを滅せんとおもわんは、自力のこころにして、臨終正念といのるひとの本意なれば、他力の信心なきにてそうろうなり」と。

  実に正確な言葉です。自分の知恵が、自分の闇の根っこであれば、自分中心の知恵でその闇を超えようとする道は、まさしくその知恵の死ぬ臨終のときが完成のときになるわけです。それこそが「臨終往生」です。この四章では、その自分中心の知恵の闇を、聖道の限界と見定めつつ、阿弥陀の智慧を信心という言葉で明示して、真実のいのち世界を明らかにしているのでした。その弥陀の智慧の真実に思い凝らすなら、もはやこの章に立ち止まることはないと思われます。四章は明らかに滅罪の利益を説く十四章への回答でると見てよいと思います。それにしても、滅罪の利益とは、なんという言葉でありましょう。まことに深い人間凝視です。

  ここに日本の仏教の源流とも考えられる聖徳太子の遺言が思い返されます。太子の遺言は、「世間虚仮(こけ)・唯仏是真(ぜしん)」であったと言われています。仏教を受け入れ、そのこころを政治に生かそうと願いながら、聖徳太子はまさに人間の業の深さに突き当たらざるをえなかったわけです。虚仮の世間が、仏教の真実を飲み込んでゆくわけです。浄土の教えもまた、この人間の闇の圏外にいることはなかったのです。阿弥陀の信方便であるはずの「念仏」にも、さまざまな覆いがかかることになっていると考えられます。しかし、法然の浄土の眼差しは、まさにその末法のただ中に生まれたのでした。

  そして、法然と親鸞の出会いがあった。そこに人間の歴史の真実が開かれています。法然と親鸞の出会いにおいて、浄土の教えの真髄が生き返ることになっているのです。ここに人間世界に開示された真の平等の大地があります。さて以上をもってこの四章についての読み解きを終わります。

第四章の意訳

 阿弥陀の慈悲は、もと一つなのですが、そこにはまた聖道と浄土という違いがあるのでした。聖道の慈悲とは、人間の知恵が中心です。それはものをあわれみ、かなしみ、はぐくむこころだといえましょう。しかし、人間の知恵では、その思いがどんなに深くとも、決して思うように助けとげることはできないのでした。一方、浄土の慈悲は、阿弥陀の智慧が中心です。私たちは、まず念仏して、いそぎ阿弥陀の智慧に馳せ参じることが肝心なのでした。そのとき阿弥陀は、その大きないのちと慈悲の智慧をもって、生きとし生けるものすべてを、その願いのままに生かして下さいます。この世にあって、どんなにいとおしく不憫に思おうとも、人間中心の知恵では知ってのとおり助けられないことがあるのです。私たちの自分中心の知恵は、ついに一貫することはないのでした。そうであれば、念仏するのみが、もっともたしかな真実の智慧であり、慈しみのこころです。