『時代によみがえる歎異抄』  高 史明

歎異抄 第五章

一 親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏もうしたること、いまだそうらわず。そのゆえは、一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり。いずれもいずれも、この順次生に仏になりて、たすけそうろうべきなり。わがちからにてはげむ善にてもそうらわばこそ、念仏を回向して、父母をもたすけそうらわめ。ただ自力をすてて、いそぎ浄土のさとりをひらきなば、六道四生のあいだ、いずれの業苦にしずめりとも、神通方便をもって、まず有縁を度すべきなりと云々

 有情 こころを有するもの。「衆生」と同意。
世々生々 過去・現在・未来の区切りなく、いつの世でも。
順次生 現在の生が終わって、そのすぐあとの生。次に生まれ変わる生。
回向 自分の善をほかの人に振り向けること。
六道四生 六道は地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六種の世界をさし、四生は胎生・卵生・湿生・化生の生物の生まれ方の違いをいう。
業苦 業の報いとしての苦悩。
神通方便 仏や菩薩が身につけた自由自在な衆生救済のはたらき。

 人間中心の供養とは

 第五章を学ぶことになりました。その冒頭は、次の通りです。「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏もうしたること、いまだそうらわず」「孝養」とは、いわば供養を意味します。親鸞はその供養のための念仏は、一度も称えたことがないと仰っているわけです。とはいえ、親鸞はこの言葉によって、私たちに何を告げようとしているのでありましょう。

 現代人は念仏と聞くと、まずは供養と思うのではないでしょうか。逆に供養というと念仏を思うわけです。そしてその裏返しが、念仏に背を向けて生きる現代人の自分中心のあり様です。現代は人間中心の科学の時代なのです。その現代人は、念仏に見守られながら、その真実に背を向けてたまま生きていると言えましょう。そのあり様のひとつとして、私は第四章を学ぶとき、「念仏してー」という言葉をめぐりつつ、その前に立ち竦んできた自分のあり様をお話しました。自分中心の私には、念仏してと、仏になりてが、どうしてもしっくりと頷けなかったわけです。この両者の間には、深淵が横たわっていたのでした。 『歎異抄』はこの第五章においても、私たちの同じ自分中心の闇を見つめていると考えられます。しかも、同じ問題が、供養ということを通して、私たちの社会生活のありようを抉る水路になり、ついにはいのちの真実を開くところまで見つめられていると言っていいと思います。

 私たちは今日、供養ということを聞くと、何を思うのでありましょう。子が突然、亡くなったときのことは、第一章のときにもお話しました。私たち夫婦は、お棺の人となった子を真ん中にして、それこそ川の字になって、最後の夜を送ったのでした。その夜のなんという重さであったことか。そして、私はその悲しみの夜に重い声を聞いたのでした。その声が、何であったかについても、すでにお話しました。じねん(自然)にいきるなら、もっともたいせつなものをたすけることができる――たすけることができる―。この声を、私は聞いたわけです。

 そして、私は葬式が終わってから、改めて『歎異抄』の前に座ったのでした。永別の夜に、慟哭の涙とともに脳裏に吹き上がった声を探そうとしたわけです。だが、『歎異抄』には、私が永別の夜に聞いたままの声は、何処にもなかったのでした。 しかし、それが新しい仏縁の始まりだったのです。永別の夜に聞いた声を尋ね歩いた私は、ふと気づくと、この五章の結びの言葉の前に立っていたのでした。夏がおわり、秋もかなり深まってからだったと思います。「まず有縁を度すべきなり」私はこの言葉に気づいたのでした。「度す」とは、此岸から彼岸に渡すということです。そしてまた、六章の結びの言葉をも意識することになったのでした。五章につづく六章の結びは、「自然のことわりにあいかなわば」という言葉です。ここに私が、あの亡き子との永別の夜に、激しい悔恨とともに聞いた「声」があったわけです。あの「自然に生きるなら、もっとも身近なものをたすけることができる」という声です。 その瞬間、私はほとんど反射的に五章の冒頭に目を向けました。「度す」は、助けるということです。どうしたら助けることができたのか、と思ったのでありましょう。これが五章の冒頭との出会いの始まりです。その瞬間、強い衝撃を覚えたことを、いまに覚えています。

 「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏もうしたること、いまだそうらわずー」と書いてある。なんとも不思議な言葉でした。そのときの私は、まさに助けることのできなかった悔恨に突き動かされるようにして、亡き子の供養のための念仏を考えていたのでありましょう。子の死が、否応もなく私自身の身の事実になってきていたのだとも言えます。しかし、気づいて見ると、親鸞聖人は供養のための念仏は、一度も称えたことはないと言われていたのです。 これは何か、と私は思いました。その私の心底には、深い恐れがあったと言えます。供養をも否定されるなら、私と亡き子の間は、もはや永遠に断たれるのではないかという意識しない意識があったに違いないのです。親とは悲しいものだと思います。親鸞は、なぜ供養のための念仏まで否定するのか、と私はほとんど本能的に思いました。

 しかし、いまに思えば、私はこの反発と問いに押されて、いま一歩深く『歎異抄』の世界に踏み込むことになったのでした。「念仏の真実」を尋ねる新しい旅が始まったのです。いや、親鸞のこの五章の冒頭の言葉に気づいた人は、まずはみんな私と同じ問いを抱くのではないでしょうか。実際、念仏とは、いかなる智慧なのでありましょう。また、供養とは、何でありましょうか。

 ところで、この問いに対する親鸞の答えは、次の通りでした。「そのゆえは、一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり。いずれもいずれも、この順次生に仏になりて、たすけそうろうべきなり」 「一切の有情は」とは、生きとし生けるものを意味します。親鸞は言わば存在するものすべての縁を、「いのち」において捉えて、供養のための念仏を称えたことはないと言っていたのです。とはいえ、この言葉が語らんとしているのは何でありましょう。どうして生き物のつながりを説く言葉が、供養のための念仏の否定の根拠になるのでしょう

 。私はわが子の死を悲しんで、供養ということを考えたのでした。それに対して、親鸞は父母の供養のためであっても、念仏したことはないと言い切り、さらにその言葉の根拠に一切の生き物の縁をあげていたのです。 私は何度も尋ねました。蜂や蟻や鳩が私の親兄弟なのですか、と。たとえそうだとしても、それがどうして供養の念仏を称えたことはない、と言われる理由になるのですか、と。そうであれば、それにつづく「この順次生に仏になりて」という言葉に至っては、私にはもう、問いかける言葉もなかったと言うほかありません。四章のときにも触れましたが、私は「おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし」という言葉には深く頷けても、「念仏して、いそぎ仏になりて――」という言葉には、どうしても納得がいかなかったのでした。

 その違和感が、ここではいっそう強く感じられたと言えます。その意味で『歎異抄』は、まことに難解です。いや、その眼差しは、私たちの日常の根拠を根こそぎに覆してゆくと言っていいのです。 実際、「順次生」とは何という言葉でありましよう。「順次」の生とは、いまの生を終えて次に迎える生のことです。私はしかし、この言葉を前にして思わないではおれませんでした。死ぬことがなければ、助けることもできないのか、死ぬことがなければー、と何度も思いました。あるいは、死ぬことが、どうして助けることになるのだ、とも思ったこともあります。その悲しくも辛い歳月は、何年も何年もつづきました。幾度も幾度も問いかけ、その度に「親鸞は父母の孝養のためとて――」という冒頭の言葉に突き返されたのです。恐ろしい歳月でした。 「愛別離苦」とは、いのちの奈落とともにあると言えるかも知れません。深い深淵に通じる言葉です。

 自分が何処に突っ走ってゆくか分からない不安が、悲しみの人の心底にわくとは、いかなる仏縁でありましょう。日常には立ち直ったかに見えながら、根源的不安と問いは、十年も十五年も、二十年も続きました。その私を亡き子は、どんな思いで見ていたことかと思います。亡き子の涙が、いまにしてこころに沁みてきます。

自力の闇

 だが、親鸞聖人の言葉こそは、まことに深い根本的な真実だったのです。念仏は、真実の智慧でありいのちであって、人間の自己満足に通じる供養のための手段ではなかったのです。この真実が生きない所では、現世の親子を結ぶ儒教の規範もまた、生きてこないことになりましょう。それどころか何もかもが、人間の現世利益の手段となって、人間はいよいよ深く「いのち」の大地を喪失するのではないでしょうか。  いま一度、親鸞の真意に踏み入ってみましょう。

 親鸞は供養のための念仏を否定しつつ、その根拠として「そのゆえは、一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり」という言葉でもって、一切の生きとし生けるもののいのちの縁を上げているのでした。この言葉で見つめられているのは、何でありましょう。

 現代は、人間中心です。その現代人には分かるようで、分からない言葉だと言っていいかも知れません。私たちは果たして一切の生きとし生けるものが、みな親兄弟に思えるものでしょうか。気分としては、思えるときがあるのかも知れません。 しかし、人間とはすべてを対象化してゆくことから、自ら対象世界との断絶を深めているのです。それが人間の歴史のいま一面の事実でありましょう。現代に至って、その人間のあり様が潜めている矛盾が、いよいよ露わになっているわけです。

 先ほど私は、「一切の有情は――」と説く親鸞の言葉が、どうしても頷けなかった私自身を語りました。これはしかし、きっと私だけのことではないと思います。現代人はみんな、自分と他の一切の生き物が、親兄弟の間柄にあると言われると、顔では頷きながら、その心底に違和感を覚えるに違いないのです。

 例えば、この「一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり」という言葉の横に、「生態系」という言葉を置いて見るとどうでありましょう。『広辞苑』は、この言葉を「ある地域の生物の群集とその背景となる無機的環境をひとまとめにし、物質循環・エネルギー流などに注目して機能系としてとらえたもの」と読み解いていました。現代人はまさにこの眼差しでもって、他の生き物とも関係を理解しているに違いないのです。この眼差しは、まさに「一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり」にぴったりと一致しているのです。いや、この読み解きの方が、生き物の生態のあり様については、はるかに精密だと言っていいと思います。だが、この両者は似ているようで、実は根本的に違っているのです。

 確かに、生態の有り様を見る眼差しでは、似ていると言えます。だが、人間中心の知恵でもって、すべてを対象化してゆく現代人には、もはや他の生き物を自分の親兄弟のように感じる感性がないと言っていいのです。海が汚れ、山が荒れています。膨大な熱帯雨林が、恐ろしい速さでなくなっています。その一方で、大気の汚染が、深刻な問題になっているのです。にもかかわらず、人間は地球の深刻な温暖化の危機を論議しながら、二酸化炭素の削減には容易に踏み込むことができないのです。現代人には、そもそも地球の他の存在を、自分の親兄弟だと見る眼差しそのものがないと考えられます。ここに現代の危機があります。

 その人間中心とは、そのまま人間疎外そのものにほかならないのです。そしていま、人間はまさにその人間中心の知恵の闇を問われていると言っていいのです。自分中心に自分を疎外することになるのは、何ゆえであるのか。現代の人間中心の物の考え方を、その源流において、省みて見たいと思います。

 現代の人間中心の物の考え方の根っこには、地動説を数学的に証明したガリレオと、その数学的理性を駆使して存在の根本を考えた近代哲学の先駆者デカルトがいるのでした。その二人が成し遂げた仕事と、その恩恵は計り知れないものがあります。しかし、その一方で、その底には深い矛盾が潜んでいたのではないでしょうか。 デカルトは『方法序説』において言っていました。「われ思う、ゆえにわれあり」と。つまり、彼は万物の根っこを人間の「思う」にあると見たのでした。この「思う」が、精神になってゆき、そして物のほうにも伸びていって、自他の世界を形成していると言うわけです。

 あるいは『省察』においてはまた、彼はその根っこを次のようにも言っていました。「いま私は必然的に真であるもののほかは何ものも許容しない。そこで私はまさしく思惟するものにほかならない」(世界文学大系13『デカルト パスカル』筑摩書房)と。

 まさしくここに物と心の二元論が誕生したと言えます。それは何か。 デカルトがその「思う」に立って述べた言葉を、ここにいま一つ考えて見ます。彼は『方法序説』において、次のようにも言っていたのでした。

 「良識はこの世で最も公平に配分されているものである。―すなわち、よく判断し,真なるものを偽なるものから分かつところの能力、これが本来良識または理性と名付けられるものだが、――よい精神をもつというたけでは充分ではないのであって、たいせつなことは精神をよく用いることだからである。かくてわれわれ自身を、いわば自然の主人かつ所有者たらしめることができる――。このことはただに、労せずして地上世界のもろもろの果実とあらゆる便宜とを人々に楽しませるところの、無数の技術の発明、という点で望ましいばかりではなく、また主として、明らかにこの世の生の第一の善でありかつあらゆる他の善の基礎であるところの、健康の保持、という点からも望ましいのである」(前掲書)と。

 人間中心の知恵は、まさに人間を自然の征服者にし、主人にするのでありましょう。ここに人間と自然が分裂し、こころと身体が裂かれてゆくわけです。私たちの今日の大量生産・大量消費・大量廃棄の暮らし方とは、まさにこの人間中心の知恵の闇の現われです。いまはその知恵が、根本的に問われているのです。 繰り返しですが、デカルトの眼差しには、明らかに深い矛盾が潜んでいたのでした。自然を征服し所有するということは、本質的に自分を征服し所有することと同じです。自分で自分を征服し所有するとは、なんと奇妙な関係でありましょう。自分で自分を征服し所有することは、できない相談です。にもかかわらず、人間の近代はそれができると錯覚したのです。自分のものになり得るはずのない「いのち」を、自分のものにしていることと同じ錯覚です。

  ところで、近代人のその眼差しは、大胆に喩えるなら『華厳経』の「唯心偈」に通じていると言えないでしょうか。「唯心偈」には、次の眼差しがありました。「三界は虚妄にして、但是一心の作なり。十二縁分は是皆心に依る」と。確かに両者には、その歴史的文化的背景の違いにもかかわらず、共通する眼差しがあるのです。死者を弔うことから、その歴史の第一歩を踏み出した人間は、その対象化する眼差しを、世界の中心に据えることになっているわけです。地球の西と東に位置しながら、人間と自然の関係においては、西と東が同じ位相に立つことになるとは、人間の業のなんという深さでありましよう。

  法然は『選択本願念仏集』によって、その人間中心の眼差しを、鎌倉の地獄のただ中で覆したのでした。いま一度、その法然を手厳しく批判した明恵の『摧邪輪』を思い起こして、問題の所在をいっそうはっきり見たいと思います。彼は浄土の真実を説く法然を、菩提心の否定と見たのでした。その彼の立脚地は何処にあったか。彼は「三界唯心」の『華厳』の世界観に立っていたのでした。「三界」とは、欲界・色界・無色界を意味します。今ひとつ砕くと、あらゆる存在の働く全世界が、この「三界」に包含されていると見るわけです。この「三界唯心」とは、全世界がただこころにあると見る眼差しです。「唯心」とは、まさしく超越的境地なのでありましょう。 しかし、この超越的境地が、「三界唯心」という言葉になるとき、そこに深い落とし穴を抱え込むことになるのです。

第四章の眼差しも、ここに思い返して欲しいところです。聖道と浄土には、「かわりめ」があったのでした。「かわりめ」とは、一言です。しかし、その一言は、また千尋の深淵ともなるのでした。人間の知恵には、真理を奈落にしてゆく矛盾が潜んでいたわけです。まさしく「三界唯心」は、現代文明の基礎ともいえるデカルトの「われ思う、ゆえにわれ在り」と深く共鳴していると言えます。どちらも人間中心の大地に立っているわけです。 言うなれば、どちらも「思う」が中心なのです。そしていま、何が生まれつつあるのでありましょう。眩しいばかりの繁栄が、深い奈落と抱き合わせになっているのです。人間中心の知恵は、まさに眩しいばかりの文明を開きながら、その総体を仮想現実化しています。ここに人間の言葉の知恵の闇があります。人間は自らの「思う」を通して働き、いよいよ自力の知恵の矛盾を露わにしていると言っていいと思います。私たちはいま、まさしく現代の「聖道・浄土のかわりめ」を問われていると言えますまいか。

 ところで、親鸞は法然に学びながら、その人間の分かる知恵の無明を、まっすぐに見詰めたのでした。供養のための念仏は、一度も称えたことはないという親鸞の言葉は、自分が自然の主人になれると思っている人間の自分中心の知恵の闇を突くものです。もし、現代人に生態系という知識をほんとうに生かすときがあるとするなら、それは対象化して知る知恵の矛盾を、根底から打ち砕かれるときではないでしょうか。

 私が亡き子を、無垢なる「いのち」と感じたのは、誕生のときと、この世から姿がなくなってからだったことが、いま改めて思い返されます。対象化する知恵は、対象化することによってものそのものを見失うのです。

「お任せ」のこころ

 「念仏」とは、まさにその人間の知恵の根本的転換を促してゆく阿弥陀の智慧だったのでした。供養のための念仏は、一度も称えたことはないと言った親鸞。その言葉は、まさに阿弥陀の智慧を掠め取ろうとする人間の闇を、根こそぎに覆すものだと言えます。思えば、人間から一切の生きとし生けるもののとのいのちの大地を奪い去っているのも、その同じ知恵の闇なのでした。しかも、それこそがまた、いのちを私物化することによって、人間を死の奈落に突き落としていると言えますまいか。人間中心とは、この人間の知恵の奈落にほかなりません。その闇の深さに気づくなら、一切の生き物のいのちの縁を説く言葉に続いているのが、この「順次生」という言葉であることの意味もまた、ひとりでに頷けてくるに違いありません。

 この「順次生」とは、いまの生の死を意味しますが、それはまた新しいいのちの新生にほかならないのです。私たちが一般に死と思い込んでいるところの死とは、死そのものでしようか。言うなれば、それは死体ではないでしょうか。人間の対象的に働く知恵は「死」が捉えられないのです。にもかかわらず、私たちは、死が見えていると思っている。「この順次生」とは、その私たちの対象的に働く知恵を、根っこから超えてゆく道です。「念仏」とは、まさにこの人類の根本課題の入り口であり、出口だったのでした。

  ところで、その親鸞の教えを、真に民衆のものにしたのは、室町時代を生きた蓮如でした。その蓮如において、親鸞の教えにいま一歩踏み込んで見ましょう。蓮如が親鸞の教えをいかに深く理解していたかは、彼の言葉が、室町期の日本を生きる人々を、いかに深く捉えていたかにおいても確認できることです。ではその蓮如は、「念仏」の真実をどのように生きていたのか。

  蓮如が、親鸞の教えを人々に公然と提示したのは、一四六一年(寛正二)でした。その年の京都では、一月と二月の二か月の間に、八万二千人とも四千人とも言われる餓死者が出たのです。その背景には、後の応仁の大乱に通じる室町幕府の分裂と内紛がありました。戦争が、人々を餓死の地獄へと追い込んだわけです。その年の三月が、蓮如の第一声だったとは、まことに意味深いことだと思います。恐ろしい地獄を目前にして、彼は改めて親鸞の教えを見つめたのではないでしょうか。この地獄は、何ゆえであるのか。人間が真に生きるとは、どういうことであるのかと問うたのです。親鸞が鎌倉の地獄の底で、弥陀の智慧を尋ねないではおれなかったことに通じていましょう。 ところで、その第一声の要は何処にあったか。蓮如がその第一声で、人々に提示したのは、次の声でした。

「―タトヒ名号ヲトナフルトモ、仏タスケタマヘトハヲモフベカラズ」(日本思想大系17『蓮如一向一揆』岩波書店)とはいえ、これはなんという声でしょう。人々は鴨川を埋め尽くしてゆく屍の荒野のただ中に立っていたのでした。そのとき京都には、念仏の声が満ち渡っていたのでないでしょうか。それこそ人々は、その地獄からの救済を願ったに違いないのです。その人々は、この蓮如の声を何と聞いたことでありましょう。共感したでしょうか。それとも反発したのでしようか。

 私で言いますなら、この声が鮮明に意識されたとき、私はほんとうに戦慄しました。まさにそのときの私は、助けて下さいの叫び声に気も狂わんばかりだったわけです。それが何年も何年も続いていたのです。私は愛する子を助けられなかったのでした。しかも、「念仏して、いそぎ仏になりて――」という言葉にも頷けなかった。蓮如は何を言うか、と思いました。 しかし、蓮如上人の声は、まさしく親鸞聖人の教えの真実を発信するものだったと言っていいのです。先の声に続けて、彼は何と言っていたか。

 「タダ弥陀ヲタノムココロノ一念ノの信心ニヨリテ、ヤスク御タスケアルコトノカタジケナサノアマリ、弥陀如来ノ御タスケアリタル御恩ヲ報ジタテマツル念仏ナリトココロウベキナリ。コレマコトノ専修専念ノ行者ナリ――」と。

 蓮如のこの言葉のこころは、「助けて下さいではない、たのむこころだ」ということでありましょう。ではそのこころとは何か。いま一度元に戻って「たすけたまへ」の「たすけて」という漢字は、力を積むと書くのでした。「助けて」です。ではどこに積むのか。私の空っぽになったこころの中にということです。助けて下さいとは、言うなれば自分中心なのです。では「たのむ」とは何であるのか。「たのむ」にも、幾つかの漢字があります。しかし、ここは立心偏に寺と書く「恃む」が順当のように思われます。助けに対応しているからです。ところで、この「恃む」には、助けて下さいという意味は、まったくないのでした。それどころか、「お任せ」というのがその意味なのです。

  「念仏して」とは、お任せするということだったのでした。阿弥陀さまにすべてをお任せする。親鸞聖人が、その「お任せ」のこころを説いて、天親の『浄土論』の冒頭から、「我一心」の一言をあげていることについては、すでに触れました。しかも、その「我一心」をまた、「如彼名義欲如実修行相応故」という言葉によっても開いていたわけです。念仏に結実した阿弥陀の智慧といのちの呼びかけのままに、すべてをおまかせしてゆくということです。この「一心」が「念仏」です。

  さらに私は、ここに『教行信証』の「信巻」の序文に開示されている言葉を提出したいと思います。「信巻」は、『教行信証』の土台柱の一つです。親鸞は、その序文において、その「信巻」の要を次のように明示しているのでした。

  「それ以みれば、信楽を獲得することは、如来選択の願心より發起す、真心を開闡することは、大聖矜哀の善巧より顕彰せり。 しかるに末代の道俗・近世の宗師、自性唯心に沈みて浄土の真証を貶す、定散の自心に迷いて金剛の真信に昏し。―」

  ここにこの言葉の全体の読み解きは、しばらく置いて、「自性唯心」について指摘して置きたいと思います。この「自性唯心」とは、まさに「三界唯心」と同根です。親鸞はこの「自性唯心」の真理を取り上げて、そこに「沈みて」という言葉を添えているのでした。この「沈みて」とは、まさに「自性唯心」の真理を囚われとしてゆく、学問仏教の奈落を示しています。この人間の自分中心の知恵の闇は、何によって破られるか。それこそ阿弥陀の真実の智慧です。親鸞が「信巻」に開示している「信心」とは、まさしくその阿弥陀の智慧にほかなりません。この「信心」こそが、また「おまかせ」のこころです。 私が四章の「念仏して、いそぎ仏になりて――」の言葉の前に立ち尽くすことになっていたのは、この「おまかせ」のこころがなかったからだったわけです。助けて下さい、の叫び声ばかりだった。いまに思えば、私が助けて下さいと叫びつづけているとき、亡き子はどんな思いで私を見つめていたことでしょう。私はその叫びとともに亡き子から、どんどん遠ざかっていたのです。しかし、いまは亡き子がすぐそばにいてくれます。お任せしてみると、永遠の彼方にいったはずの子が、すぐ側にいてくれるのです。これこそが「大慈大悲心」の証です。またこれこそが、「順次生」の始まりです。

   さて「念仏」の一言が、ここに読み解いてきた阿弥陀のいのちと智慧を顕す真実であるならば、五章の冒頭の開示が何を意味しているかもまた、きわめて明らかだと言えましょう。念仏とは、自分中心に生きている人間が、たとえ善意からだとしても、いのちを私物化している自分の善意の手段にすることの許されない阿弥陀の真実だったのです。

 親鸞の第五章のこころは、「愛別離苦」の悲しみに会うならば、その悲しみを縁として、対象化する知恵の闇を離陸して、まず生きとし生けるものともとに生きようとする真のいのちと智慧の開示にあると言っていいと思います。それこそが、まさに真の「供養」だったわけです。そして、ここがまた現代の根源的闇をも開くいのちの原点ではないでしょうか。

  もし、この真実のいのちと智慧の原点を見失うなら、人間はいつでも亡き人を、生者中心に利用してゆく闇を深めることになってゆきましよう。それが末法への歩みです。戦没者の慰霊という社会的現象もまた、その生者中心の迷いの現われだと言えないでしょうか。生者は、むしろ仏の方から見つめられているのです。「わがちからにてはげむ善にてもそうらわばこそ、念仏を回向して、父母をもたすけそうらわめ。ただ自力をすてて、浄土のさとりをひらきなばー」とは、まことに深いこころです。その一点こそが、また人類史的な転換点だとも言えます。 さて「念仏」が阿弥陀の真実であることが明らかになったからには、この五章にもはや難しいところはないと言えましょう。

 最後にこの五章と十五章のかかわりを見て置くことにします。十五章の冒頭は、次の言葉でした。「煩悩具足の身をもって、すでにさとりをひらくということ。この条、もってのほかのことにてそうろう。―」自分中心の人間は、自分中心に仏を見るのでした。ではその人間中心の立場において、果たしてその身の煩悩を超えることができるのでありましょうか。超えることはできません。そこに人間の罪悪性があります。 阿弥陀の智慧は、その人間の苦悩に寄り添っているいのちの光なのでした。にもかかわらず、自分中心の人間は自分が、阿弥陀に代わって仏の供養ができると考えているわけです。それこそ自分の絶対化です。また自分の悟りなのでありましょう。そこに人間の末法の恐ろしさがあります。人間は仏に見つめられて、初めてその知恵の罪悪性と煩悩の悩みを超えることができるのです。 十五章にはまた、「浄土真宗には、今生に本願を信じて、かの土にしてさとりをひらくとならいそうろうなり」と言われていました。まことに深い真実の開示だと言えましょう。これこそが親鸞の教えだったのでした。阿弥陀の願いに導かれながら、生きとし生けるものと苦楽をともに生きることこそが、まさに真の喜びに通じる道なのでありましょう。

五章の意訳

親鸞は父母の供養とためということでは、いまだ一ぺんたりとも念仏を称えたことがありません。その理由を申しましょう。一切の生きとし生けるものは、生まれかわり生きかわる深いいのちの縁においていうなら、みんな父母兄弟に等しいのです。いずれのどなたも、きっとこの次の生には仏となり、亡き父母の供養もできることになります。わたしがわたしの力ではげめる善でありますれば、念仏を亡き父母に回向してたすけることができるのでありましょうが、念仏はわたしのいのちでも智慧でもないのです。わたしたちは、ただ自力をすてることこそが肝要です。阿弥陀の智慧といのちに導かれるなら、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道と、胎・卵・湿・化の四つの生のあり様のいずれに生まれ、さまようことになり、どのような業の苦に落ちましょうとも、阿弥陀仏の神通方便の智慧をもって、まずはもっとも身近なものから助けとげることができるはずです。 これがお言葉です。