「念仏往生」の大地に立つ 2005.4.2  高 史明

第1章

 みなさんおはようございます。
全戦没者追弔法会にただ今、ご縁をたまわりました高史明でございます。たったいま厳粛な法会のお念仏が、お御堂いっぱいに響きわたりました。私は自分の身心にそのお念仏が満ち渡るのを覚えます。皆さんは、いまどのような思いを抱かれておられましょうか。

 戦争で亡くなった仏様のお顔を、まざまざと思い浮かべられた方も多いことでございましょう。また戦争を知らなくても、身近な仏様のお姿を今のお念仏を通して思われた方もいらっしゃるかと思います。あるいはご自分の間近に迫ってきている仏縁の近さ温もり、それを考えながらお念仏を称えられた方もいらっしゃったのではないでしょうか。この今、世界中のたくさんの仏様が、私たちの回りにお集まりなっておられるのであります。

 親鸞聖人は、『現世利益和讃』でお示しになっていました。

南無阿弥陀仏をとなうれば
十方無量の諸仏は
百重千重囲繞して
よろこびまもりたまうなり

 第二次世界大戦では、世界中で実に恐ろしい数の方々が犠牲となったのでした。その戦争で亡くなられた仏様、そのお一人のお声をまずここに読んでみたいと思います。今はごく短く部分だけ読ませていただきます。

 木村久夫
昭和二十一年五月二十三日、シンガポールのチァンギー刑務所において戦犯刑死。陸軍上等兵。二十八歳。=『きけわだつみのこえ』より。
「死の数日前偶然にこの書を手に入れた。死ぬまでにもう一度これを読んで死に就こうと考えた。―」

 これが書き出しでした。哲学徒だったのでありましょうか、田辺元の『哲学通論』を前にして、その余白にこの世に残す最後の言葉を書き残していたのでした。

 「私は死刑を宣告せられた。誰がこれを予測したであろうか。年齢三十に至らず、かつ学半ばにしてこの世を去る運命を誰が予知し得たであろう。―大きな歴史の転換の下には、私のような蔭の犠牲がいかに多くあったかを過去の歴史に照らして知る時、まったく無意味のように見える私の死も、大きな世界歴史の命ずるところと感知するのである。――私は何ら死に値する悪をしたことはない。悪を為したのは他の人々である。―日本の軍隊のために犠牲になったと思えば死に切れないが、日本国民全体の罪と非難とを一身に浴びて死ぬと思えば腹も立たない。笑って死んで行ける。―しかしまた、更に考えを致せば、満州事変以来の軍部の行動を許して来た全日本国民にその遠い責任があることを知らねばならない。
わが国民は今や大きな反省をなしつつあるだろうと思う。その反省が、今の逆境が、将来の明るい日本のために大きな役割を果たすであろう。それを見ずして死ぬのは残念であるが致し方ない。―
かつてのごとき、我に都合の悪しきもの、意に添わぬものは凡て悪なりとして、ただ武力をもって排斥せんとした態度の行き着くべき結果は明白になった。今こそ凡ての武力腕力を捨てて、あらゆるものを正しく認識し、吟味し、価値判断する事が必要なのである。これが真の発展を我が国に来たす所以の道である。
あらゆるものをその根底より吟味する所に、日本国の再発展の余地がある。―
私が戦いも終わった今日に至って絞首台の露と消える事を、私の父母は私の不運として嘆くであろう。父母が落胆のあまり途方に暮れられる事なきかを最も心配している。―父母よ嘆くな、私が今日まで生き得たという事が幸福だったと考えて下さい。私もそう信じて死んで行きたい。―
もう書くことはない。いよいよ死に赴く。皆様お元気で。さようなら。さようなら。
一 大日本帝国に新しき繁栄あれかし。
一 皆々様お元気で。生前は御厄介になりました。
一 末期の水を上げて下さい。
一 遺骨はとどかない。爪と遺髪とをもってそれに代える。
みんなみの露と消え行ゆく命もて朝かゆすする心なしも
朝かゆをすすりつつ思う故郷の父に許せよ母よ嘆くな
友のゆく読経の声をききながらわれのゆく日を指折りて待つ(後略)

 眞に深い声であります。胸底に滲みてくる涙を覚えないではおれません。同時に戦争の罪業性を、改めてこの身心に覚えます。夥しい若者が、このような思いとともに亡くなったのでした。その仏さまは、いま私たちをどのように見つめておられましょう。私たちは今、世界中の仏様に見詰められているのであります。その仏様はまた、決して日本の犠牲者ばかりではないということが、ここに考えられてよいのではないか。今日は、「全戦没者追悼法要」でございました。

 あの第二次世界大戦の時には、いまの木村久夫さんと同じ南方のBC級戦犯で考えますと、その中には二十三人の朝鮮人のBC級戦犯もいたのでした。その刑死者の妻の一人は、夫が日本軍の一員として戦犯になったと聞いたとき、故郷の朝鮮の湖に身を投げて死んだと言います。その嘆きの妻、あるいは妻子を残して南の空に消えていった朝鮮人の胸底にあった最後の叫びは何であったでありましょう。彼等は日本人として死んだのでありましようか、それとも朝鮮人として死んだのか。死刑から二十年の刑に減刑された朝鮮人の一人は、その後釈放された後も故郷の朝鮮には帰らなかったと聞きました。その一方で、そのとき彼等はすでに日本人から、その国籍を一方的に削除されていたのでした。同じ運命で刑死するほかなかった朝鮮の若者たちは、ただ一人の「人」として死んでいったのでしょうか。そのただの「人」とは、私たちに何を告げる人なのでありましょう。その「人」は重く深い。