「念仏往生」の大地に立つ 2005.4.2  高 史明

第2章

  第二次世界大戦とは、歴史的・社会的な面から見てのその犠牲の数の恐ろしさだけではなく、人間の根っことともにその歴史を、この「一人の人」の根底から問うものでもあったと考えてよいのではないでしょうか。歴史とともに近代国家そのものが問われていたのであります。そして、仏様のお一人お一人こそは、そのいのちの真実を、国家の次元を超えてよくよくご存知なのでありましょう。先ほどの木村久夫さんはまた、次の歌も詠んでいました。

 「眼を閉じて母を偲べば幼な日の懐し面影消ゆる時なし」その声がが、いま改めて聞こえてくるようであります。人間の戦争が、人間の闇としてつくづくと考えられてまいります。繰り返しでありますが、第二次世界大戦では全世界で六五〇〇万人からの方が、戦争の犠牲で亡くなられたのでした。最近のテレビ報道が、そのときの東京大空襲の悲劇を報じていました。広島、長崎の原爆の恐ろしさは、よく知られています。しかしそれ以外にも、日本のいわゆる大都市の絨氈弾爆の始まりには、東京の江東区に大空襲があったのでした。

 そのとき一夜にして、十万人の方が焼き殺されたと言います。人工密集の街の周囲を、先ず油脂焼夷弾の炎で囲んでおいで、その後でゆっくりとまん中に火炎を広げていったと言います。そのような攻撃方法がとられていた。そして七万人からの遺骨がいまも引き取り手のないまま、東京都の霊園にはおられるわけでございます。思えば、あの戦争のとき、その火炎が全国に拡大されたのでした。日本人では死者が三三〇万人だったと言われています。大変な数でございます。しかし世界中でみますと六五〇〇万人が犠牲になり、お隣の中国人では二千万人を超える犠牲があったのでした。その無量の仏様が、いま私たちを見守っておられる。その仏様はそれこそ、二度とあのような戦争をしてくれるなと、その声のない声で告げておられるのではないでしょうか。

 先程、ご門首の『表白』のお言葉がございました。「謹んで、阿弥陀如来・宗祖親鸞聖人、ならびに三世十方の諸仏如来に、もうしあげます。―私たちは念仏者として、あらためて先の悲惨な戦争を、教えの中で省みますとき、私どものこころの奥底に渦巻く、煩悩の闇にまなこを閉ざしていたことが、全ての過ちの根源であっことを、教えられるのであります。――私たちも、いまここに立って、仏の本願の教えに背いた罪、世界各国、とりわけアジア諸国の人びとに、計り知れない苦痛と、悲しみを強いてきた数々の罪、それらの罪を背負いながら、懺悔の道を歩む以外にはありません。」と。そしてまた、宗務総長も私どもに『歴史をつなぐー非戦・平和の願いに生きるー』において、述べてくださっておられました。

 「本年は、一九四五年の敗戦から数え、六十年という節目の年にあたります。六十年前、戦争を体験した者は、戦争で命を奪い合うことの悲しさ、愚かさ、罪深さを、身をもって知ることになりました。―しかし、この六十年の間、世界中で砲火の止む時はありません。最近では、国内外の反対の声を押し切って、私たちの政府は、『人道復興支援』を『大義』として、イラクへ自衛隊を派遣しました。――まさに現在は、戦争の世であります。戦争を防げないこの世界は、私たちの願う『同朋社会』とは、完全に異なると言わざるを得ません。この現実は、私たち一人ひとりが過去の戦争を誤りであると明確に肯くことができなかった事実が、生み出したものといっても過言ではないでしょう。まさに慙愧すべきことであります。―私たちの宗門は、一九九五年六月に『不戦決議』を表明しました。―悲惨な記憶は無残に風化し、戦争への自省心も危機感も喪失したかのような時代にあって、私たち一人ひとりに非戦を誓わせてくれるもの、それは、歴史を直視せよという、戦争で命奪われた人たちからの声であります。(後略)」

 本当に厳粛なお言葉でございます。「教えの中でー」と言われ、「歴史を直視せよー」と言われていました。確かに、現代世界には、あの世界大戦の災厄にもかかわらず、戦後六十年経って今また、私たちの身辺には戦争の足跡が聞こえてきているのであります。咽喉もと過ぎればーと言う言葉がありました。人間とは根源的には健忘症なのでありましょうか。いや、咽喉元過ぎればと言っている間に、咽喉はおろか、頭も胴体もみんな微塵に砕けてしまうのであります。しかも、現代の戦争は女子供から老人といえども、無慈悲に殺戮してゆくのであります。

 それともこの新しい戦争への危機感は、杞憂なのでありましょうか。皆さんはご門首、総長のお言葉を聞きながら、何をお考えだったのでありましょう。確かに現代世界は、見掛けからすると、或る意味では繁栄しているかに見えます。町を歩きますと戦争の影はないように見えます。しかしながら、よく目を凝らしてみますと、私たちの身辺には何か深い不安がございます。電車に乗っていても不安がございます。不審な物があればすぐ届けてくださいと、そういう声がございます。学校の門はかならず錠をしなければならないと言われます。そのうえ身辺を見回わすと、人災の続く世界には、天変地異が次々と起きています。また経済の先行きも極めて不透明であります。ある主婦が漏らしていたものでした。「どうしてこうなっているんだろう?」と。今日の不安は、私たちに何を告げているのか。先ほど遺書を読み上げました木村久夫さんは、「あらゆるものをその根底より再吟味する」と述べていました。ここに私は、私の思いを申し述べて、皆様とともに仏様の教えを仰ぎたいと念じます。