照明寺のこと

今を生きている

梅や桃の花が咲き始め、ウグイスの鳴き声が春の訪れを告げてくれる。冬の間眠っていた木の芽が一斉に芽吹くころ、駐車場の広場の滑り台に子どもたちが集まってくる。芝生の上にシートを敷いて大人もお花見をする。裏山のタラの芽やワラビが採れる頃、春の永代経をお勤めする。冬の間家にこもりがちだったお年寄りの方も、よそ行きの服を着てお寺にお参りに来てくださる。

田んぼに水が張り、夜はカエルの大合唱が聞こえる。梅雨が明けると夏は一気にやってくる。蝉しぐれの中、夏の永代経のお参りにみえた方が本堂や庫裡の涼しさに驚かれる。川からの風が境内を通って涼を運んでくれるのだ。

お盆が過ぎ、夜に鳴く虫の声が大きくなると秋の気配を感じる。台風にも負けなかった稲穂が豊かに実り、収穫の時を待つ頃、秋の永代経をお勤めする。

紅葉やイチョウが鮮やかに境内を彩り、朝夕に肌寒さを感じるようになると真宗寺院にとって最も大切な仏事である報恩講をお迎えする。庭木の剪定や、仏具のお磨き、本堂や書院と庫裡の掃除、そして幕張りや内陣の荘厳を多くのご門徒さんに関わっていただき、報恩講の日を迎える。真宗門徒の一年の終わりと、はじまりがここにある。

やがて寒さが一段と厳しくなり、長い冬がやってくる。大晦日に雪が降り、除夜の鐘をつくころにはあっという間に膝まで積もってしまう。すべての植物が静かに雪の下で眠る季節。

初春の弱い日差しではなかなか溶けなかった本堂の屋根から落ちた雪の山が、一雨ごとに溶けはじめ、三寒四温をくり返しながらやがてまた美しい春がやってくる。

 

「お寺はご門徒さんのもん(物)や」

「ご門徒さんからお預かりして私たちは住まわせてもらっているんや」

そう幼いころから言い聞かされて育ってきた。本堂や境内の掃除、行事を迎える準備、来客への対応に至るまで、根本にはこの言葉がある。

「お寺はいつ誰が来られてもいいようにきれいにしておくこと」

その言葉を守り、今日も掃除に精を出す。

照明寺の歴史

寺伝によれば、腰細村住人和田助次郎が応永19年(1412年)天台宗白山長滝寺において出家得度し法号を道円と名告り、腰細村に草庵を建てたのが最初といわれている。

その後、亨徳元年(1452年)に千虎村林ヶ津に移り、道円の実子受専の代に至って、応仁2年(1468年)福手村(現在の中山)字地下坂山手に移った。

受専の子道明の時、当時越前国吉崎において、本願寺第8世蓮如上人の教化弘通の盛んなるを聞き、法輪を戦わせんと文明5年(1473年)5月28日に吉崎に詣でた。そこで上人の法徳に深く打たれ、反って宗を改めて上人の弟子となられた。上人はこれを深く喜ばれて、六字名号及び十字名号(帰命尽十方無碍光如来)を書いてくださり、「正定坊」の坊号もいただいた。ここに宗祖親鸞聖人が明らかにされた本願念仏の一道に帰し、浄土真宗の名告りを挙げる。よって釋道明をもって照明寺開基とする。

文明6年(1474年)12月下旬、門原村気良郷に移り、本堂を建立され現在に至る。その本堂は、東面して山間の日の出が鏡の如く耀くのを見て「遠鏡山」と山号をつけた。

明応7年(1497年)蓮如上人84歳の御年、大坂石山に坊舎を建立の頃、いつになく体調が悪いのを聞き及んだ道明は京都山科本願寺を訪ねた。「耳目手足身体ココロヤスカラザルアイダ・・・」と御文にある如く、御老衰の上人はいたく喜ばれて、別離に際し、親鸞聖人御真筆十字名号を今生の形見としていただいた。この十字名号は、本願寺第3世覚如上人の頃、「光明本尊」として十二光佛が加彩表装されてものである。

明応8年(1499年)3月25日、蓮如上人85歳、宗祖親鸞聖人の教法への回帰を終生の願いとした波乱多き御苦労の生涯を尽くして、浄土へ還帰された。

蓮如上人と開基道明との出遇いにおいて、本願念仏の教法がこの地にまさしく相応の地として弘通されしより今日まで、どれほど多くの念仏往生人を生み育てたことであろう。上人の生涯にわたる「如来の本願力に遇うことによって空しく過ぐることのない一生を歩め」とのご教化を、今日の混迷する人心の中に、いよいよ顕らかにすることこそ、真に報恩謝徳の懇志たるべきことを思う。

なお、道明法師は天文5年(1536年)79歳をもって還浄された。それより4代専性のとき、本願寺第13世宣如上人より「照明寺」の寺号を賜る。

同朋会

照明寺では、親鸞聖人の教えを通じて共に語り合い、宗祖のお心を感じる場を開いています。

忙しい日常から少し離れ、ゆっくりと語り合ってみませんか?

 

「ご命日のつどい」
毎月28日、親鸞聖人のご命日の夜に、遠方は豊田、岐阜から、20代から60代の年齢も職業も違う方々が集まって、熱く語り合うつどいです。

 

「書写の会」
親鸞聖人が書かれた『正信偈』の書写をするつどい。普段お勤めしている『正信偈』を書くことを通して、宗祖のお心に触れます。

 

「照明会」
若手の門徒さんが集まってお勤め、法話を聞いて、その後飲みながら熱く語り合います。